漢詩紹介

吟者:松尾佳恵
2011年1月掲載[吟法改定再録]

読み方

  •  越中懐古  <李白>
  • 越王勾践 呉を破って帰る
  • 義士家に還りて 尽く錦衣
  • 宮女花の如く 春殿に満つ
  • 只今惟 鷓鴣の飛ぶ有り
  •  えっちゅうかいこ   <りはく>
  • えつおうこうせん ごをやぶってかえる
  • ぎしいえにかえりて ことごとくきんい
  • きゅうじょはなのごとく しゅんでんにみつ
  • ただいまただ しゃこのとぶあり

詩の意味

 越王勾践が長年の仇であった呉王夫差を打ち破って国に凱旋した。その戦いに従って行った忠義な者たちは、故郷に帰るとみな錦織りの服をまとって、華美な生活にふけった。

 そのころ宮廷の女官などにも美しい人が多く、まるで花が春殿に満ちていると思えるほどであった。しかし、今は当時をしのぶよすがもなく、ただ鷓鴣が寂しく飛び交っているばかりである。

語句の意味

  • 越 中
    春秋時代の越(えつ)の都であった会稽(かいけい=現在の浙江省紹興市)
  • 破 呉
    前477年嘗胆(しょうたん)辛苦の末宿敵呉王夫差を破ったこと
  • 義 士
    越王勾践と20年苦楽を共にした忠義の家臣たち
  • 錦 衣
    錦織りの着物 勝利の恩賞の品
  • 鷓 鴣
    キジ科の野鳥(鳴き声が悲しげな鳥)

鑑賞

 栄枯盛衰は涙を誘う

 春秋時代(紀元前5世紀)長江南部にあった呉と越は長年にわたって仇敵(きゅうてき)であった。これまで幾度となく戦ったが勝負がつかない。前494年の会稽の戦いでは越が大敗し、勾践は「自分は呉王の臣下になり、妻は妾に差し上げますからどうか命だけは……」と哀願した。これを「会稽の恥」といって、越王最大の屈辱であった。その後約20年間、越王は肝を嘗(な)める辛苦を自分に課し、前477年、ついにこの恥を晴らすのである。この詩はその歴史の上につくられたので、史実を知ることが鑑賞を深める。

 この詩の構成に一つの特色がある。懐古詩に多くみられるのは「蘇台覧古」(李白)のように前半に旧事を、後半に作者の時代からの感慨を叙するのが一般的であるが(その逆もある)、この詩は前三句が勾践の全盛期を述べ、結句のみ作者眼前のわびしい景を描いている。この一句が転句と結句を兼ねている珍しい例である。しかし当時の華やかさが十分に述べられている分だけその衰退ぶりや寂寥感(せきりょうかん)を際立たせる効果を生んでいる。

参考

   呉越の攻防から生まれた名句

  ①「臥新嘗胆(がしんしょうたん)」

 春秋時代、呉王は越王との戦いで死んだので、その子夫差は復讐を志し、薪(たきぎ)の上に寝て心をかき立て、ついに越王勾践を会稽山で破る。こんどは越王勾践が復讐心を燃やし、日夜苦い肝を嘗めて20年後に雪辱した。現在では、目的を達成するため長い間苦しい努力をすること。

  ②「呉越同舟」

 隣同士でありながら戦いばかりしていた両国の者が、たまたま同じ舟に乗り、その折突風に遭い船が転覆しそうになったので、仲良く助け合った。現在では、仲の悪いもの同士が同じ場所や境遇にいること。

  ③「会稽の恥」

 越王勾践が呉王夫差から受けた屈辱的講和。現在では、忘れられないほどの激しい屈辱。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、上平声五微(び)韻の帰、衣、飛の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

李 白  701~762

 盛唐時代の詩人

 四川省の青蓮郷(せいれんきょう)の人といわれるが出生には謎が多い。若いころ任侠の徒と交わったり、隠者のように山にこもったりの暮らしを送っていた。25歳ごろ故国を離れ漂泊しながら42歳で長安に赴いた。天才的詩才が玄宗皇帝にも知られ、2年間は帝の側近にあったが、豪放な性格から追放され、再び漂泊した。安禄山の乱後では反朝廷側に立ったため囚われ流罪となったがのち赦され、長江を下る旅の途上で亡くなったといわれている。あまりの自由奔放・変幻自在の性格や詩風のためか、世の人は「詩仙」と称えている。酒と月を愛した。享年62。