漢詩紹介

吟者:辰巳快水
2011年1月掲載[吟法改定再録]

読み方

  •  常盤雪行  <梁川 星巌>
  • 雪は笠檐を圧して 風は袂を巻く
  • 呱呱 乳を索むる 若為の情ぞ
  • 他年 鉄拐 峰頭の険
  • 三軍を叱咤せしは 是此の声
  •  ときわせっこう <やながわ せいがん>
  • ゆきはりゅうえんをあっして かぜはたもとをまく
  • ここ ちちをもとむる いかんのじょうぞ
  • たねん てっかい ほうとうのけん
  • さんぐんをしったせしは これこのけん

詩の意味

 雪は常盤の編み笠のひさしを押しつぶすかのように降り積もり、風は袂を巻き上げる。その中を乳飲み子の牛若丸が乳を求めて泣き叫んでいるが、どのような気持ちであったろうか。
 ところが後年、この子が成人し、源義経となって、あの一の谷の合戦で険しい鉄拐山の峰頭に立ち、大軍に大声で号令をかけた、その声こそ、母の胸で乳を求めて泣き続けた牛若その人の声にほかならないのである。

語句の意味

  • 常 盤
    源義朝(よしとも)の側室で今若、乙若、牛若(義経)の母
  • 笠 檐
    編み笠のひさし
  • 呱 呱
    乳飲み子の泣く声
  • 若 為
    どのような
  • 鉄 拐
    兵庫県六甲山脈の一峰 義経が一の谷に奇襲をかけた鵯越(ひよどりごえ)はこの峰に属す
  • 三 軍
    大軍 一軍は1万3500人
  • 叱 咤
    ここでは大音声(だいおんじょう)で大軍を下知(げち)命令する

鑑賞

 乳飲み子の泣き声が総大将の大音声に続く

 この詩は平治の乱後、大和(奈良)龍門に向かって、義朝の側室常盤と3人の子の4人が逃避行する折のものである。前半二句は沈痛な叙景である。大雪、北風、幼子の絶叫など哀れで見ていられないほど悲痛であるが、後半二句は勇壮で力強い。険しい山肌を駆け降りるひずめの音、あの牛若が総大将義経となって源氏を率いる大音声に加え、この後一の谷での勝鬨(かちどき)の声まで聞こえる。この声こそ母の胸で泣き叫んだ声なのだという発想が感動的である。この氷から炎に移ったような対照的でしかも飛龍のような運びは見事である。その間20年以上の年月が隔たっていないのではないかと錯覚するほど詩脈が通じている。その躍動感、臨場感は、この詩の魅力である。全詩を声の一点に絞った構成も、主題を明確にして分かりやすい。

備考

 この詩は作者が広島の三原を旅した文政6年、35歳の時、当地の女流画家平田玉葆(ぎょくほう)の絵を見て作ったもの。「田氏女玉葆画題常盤抱孤図」(田氏の女=むすめ=玉葆の画く常盤孤を抱くの図に題す)あるいは「常盤抱孤図」が本来の題であるが、本会では「常盤雪行」と簡略にした。

参考

 常盤御前(ときわごぜん)

 近衛天皇の中宮、藤原呈子の雑仕女(ぞうしめ)で、雑仕女の採用にあたり、都の美女3千人を集め、その中で一番の美女であったとされる。平治の乱により、3人の子供を連れて身を隠すが、常盤は自分の母が清盛の人質となったことを知り、清盛のもとに出頭する。常盤は、自分の命と子供たちの命を捨てても、母の助命を必死に願ったとされる。
 後、義経が異母兄である頼朝と対立し、都を追われるが、常盤のその後は不明である。一説には、侍女と共に義経を追いかけたといわれ、関東地域には常盤に由来するとされる地が、数か所存在する。

 平治の乱

 1159年に京都で起こった内乱。前年二条天皇が即位したころ、朝廷内に対立抗争があった。時の有力貴族・藤原信西(しんぜい)は平清盛の力を頼り朝廷の実権を握った。これに対し藤原信頼は天皇親政派や源義朝と結んで信西を自害に誘い、一時京都を支配したが、結局は清盛方の勝利に終わり、義朝は逃走中に斬られた。これ以降、清盛を頂点とする平氏一門勢力が支配し、武士の時代に転換した。

詩の形

 仄起こり七言絶句の形であって、下平声八庚(こう)韻の情、声の字が使われている。起句は踏み落としである。

結句 転句 承句 起句

作者

梁川星巌  1789~1858

 江戸後期の儒学者・詩人

 美濃(みの=岐阜県)に生まれる。名は孟緯(もうい)、字は星巌、号は天谷(てんこく)。妻紅蘭(こうらん)と共に詩を善くし、天下を漫遊すること20年。天保5年に江戸に出て、玉池(ぎょくち)吟社を興し、江戸詩壇の盟主として名声が高まった。当時の詩人菅茶山(ちゃざん)、広瀬淡窓、菊池五山などことごとくその詩友である。常に尊皇愛国の志が厚く、七言律詩に多くこれを託している。安政5年に没す。享年70。著書に「星巌詩集」がある。