漢詩紹介
吟者:中島菖豊
2017年11月掲載
読み方
- 謫居之作<西郷南洲>
- 朝に恩遇を蒙りて 夕べには焚坑
- 人世の浮沈は 晦明に似たり
- 縦い光を回らさざるも葵は日に向う
- 若し運を開く無きも 意は誠を推す
- 洛陽の知己 皆鬼と為り
- 南嶼の俘囚 獨り生を竊む
- 生死何ぞ疑わん 天の附與を
- 願わくば魂魄を留めて皇城を護らん
- たっきょのさく<さいごうなんしゅう>
- あしたにおんぐうをこうむりて ゆうべにはふんこう
- じんせいのふちんは かいめいににたり
- たといひかりをめぐらさざるも あおいはひにむこう
- もしうんをひらくなきも いはまことをおす
- らくようのちき みなきとなり
- なんしょのふしゅう ひとりせいをぬすむ
- せいしなんぞうたがわん てんのふよを
- ねがわくばこんぱくをとどめて こうじょうをまもらん
字解
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- 謫居
- 罪を受けて流されること 「謫」はとがめる
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- 蒙恩遇
- 手厚い待遇を受ける 「蒙」は授かる
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- 焚坑
- 秦の始皇帝が儒家の書物を焼き、儒家を穴埋めの刑に処したようなひどいしうち 「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ)」ともいう
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- 晦明
- 夜と昼 「晦」は暗い
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- 洛陽
- もと中国の首都名
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- 知己
- 己を知る人 友人
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- 鬼
- 死んだ人 霊魂や神など
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- 南嶼
- 南の小島 沖縄の永良部(えらぶ)島 「嶼」は小島
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- 俘囚
- 囚われの身 「俘」は捕虜
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- 皇城
- 皇居 宮城
意解
朝に主君の手厚い待遇をいただいたと思うと、夕べには焚書坑儒ほどの厳しい刑をうけることがあるが、〔自分が今まさにその境遇になってみると〕世の浮き沈みはちょうど昼と夜が交互にくるのとよく似ている気がする。
たとえ太陽が光をその方向に回さなくとも、葵の花はいつも変わりなく日の方に向いているが、〔自分もまた同じ心境で〕もし今後運が開かなくても、心は常に誠を持って貫くつもりである。
京都の友人たちは捕らえられて皆死んでしまったが、自分ひとりだけこの南海の小島に囚人となってわずかに生命を保っている。
死ぬも生きるも天命であることは、何も疑う余地は無いが、〔もしここで死ぬとしても〕自分の霊魂だけはこの世につなぎとめて、皇城をお護りしたいと思う。
備考
文久二年(1862年)藩主島津久光の激怒にあい、沖永良部島に貶謫され、和泊村の獄舎にて作る。本題は「沖永良部島謫居中の作」であるが、本会では「謫居之作」と簡略にした。
この詩の構造は平起こり七言律詩の形であって、下平声八庚(こう)韻の坑、明、誠、生、城の字が使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
西郷南洲 1827-1877
薩摩藩士、吉之助(きちのすけ)といい、文政十年鹿児島城下、下加治屋町に生まれる。隆盛(たかもり)と称し、南洲は号である。藤田東湖(ふじたとうこ)に師事する。安政元年(1854)鹿児島藩主島津斉彬(しまづなりあきら)の側近に抜擢(ばってき)された。征韓の議、容れられず退官。帰郷する。明治十年私学校党に擁せられて挙兵したが(西南戦争)敗れて城山で自決した。歳51。
参考
西郷南洲のエピソード
西郷南洲には、その人となりや、思想を知る著書等はない。西郷に学んだ旧藩士が生前筆記していたものを、西郷の死後編集したものが遺訓(五十三則)である。政事観、人生観等がのべられており、孔子の論語にも似た人生の指針といえる。