詩歌紹介

CD⑤収録 吟者:松野春秀
2018年7月掲載

読み方

  • 親思ふ<吉田松陰>
  • 親思ふ こころにまさる 親ごころ
  • けふの音づれ 何ときくらむ
  • おやおもう<よしだしょういん>
  • おやおも(お) こころにまさる おやごころ
  • きょうのおとづれ なんときくらん

語意

  • 音づれ
    処刑されることをしたためた手紙
  • きくらむ
    「らむ」は現在起こっていることで、目に見えないことを想像する言葉 いまごろは…しているだろうと訳すのが基本

歌意

 私が親のことを思う以上に親は私のことを思っていてくれている親心。その親の気持ちとしては、今日私が処刑され死地に赴くことを手紙で知ったとしたら、いまごろはどう聞いておられることだろう。

出典

 「永訣書(えいけつしょ)」

作者略伝

吉田松陰 1830─1859

 江戸時代末期、萩(山口県) 藩士杉百合之助の次男として生まれた。幼名を大次郎、通称寅次郎、名は矩方(のりかた)、字を義卿(ぎきょう)、松陰または二十一回猛士と号す。6歳のとき叔父吉田了賢の養子となり、山鹿流兵学を学ぶ。11歳の時には藩主毛利敬親(たかちか)の御前で武教全書を講義する。勤王の志が厚く、佐久間象山に師事した。ペリー再来の時、密航を企てて下獄。その後萩の自邸内に松下村塾を開いて子弟の教育にあたる。その門下には明治維新の大業達成に活躍した高杉晋作・久坂玄瑞(げんずい)・伊藤博文らがいる。安政の大獄に連座し小塚原で刑死した。年29。

備考

 安政の大獄に連座する直前の歌である。処刑は安政6年10月27日である。その1週間前、江戸牢屋敷で家族・同志に書いた手紙にこの歌が見える。有名な遺作の「帰らじと思ひ定めし旅なればひとしほぬるる涙松かな」は安政5年の末に幕府軍に監視され、故国萩を出立する折の歌であり(「涙松集」)、「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」は処刑前日にしたためた「留魂録」の冒頭に歌われている。徹底して攘夷を説き、時の大老井伊直弼を敵に回した憂国の志士の哀れな人生を読み取ることができる。