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吟者:鈴木 永山
2009年6月掲載
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爾霊山
<乃木 希典>
にれいざん
<のぎ まれすけ>
爾霊山は嶮なれども 豈攀じ難からんや
にれいざんはけんなれども あによじがたからんや
男子功名 克艱を期す
だんしこうみょう こっかんをきす
鐵血山を覆うて 山形改まる
てっけつやまをおおうて さんけいあらたまる
萬人齊しく仰ぐ 爾霊山
ばんじんひとしくあおぐ にれいざん
爾霊山
旅順の二〇三高地のことで 乃木将軍によって 爾霊山の名を得た
克 艱
艱難に打ちかつ
鐵 血
兵器と人の血
二〇三高地が如何に嶮(けわ)しくとも、攀じ登れぬ筈はない。男子たるもの功名を立てるためには如何なる困難にも 打ち克つという覚悟が肝要である。
その決意のもとに激戦、遂に武器と人の血で山全体を覆うて山の形さえ変わってしまった。この激戦によって遂に旅順も 陥落するに至ったのである。この大功と共に多くの人命を失った。嗚呼(ああ)爾の霊の山である、と万人が斉しく仰ぎ 英霊を慰めるであろう。
日露の戦役我が軍の攻撃七十余日、彼我(ひが)の死傷各(おのおの)万を超える。 古来未曾有(みぞう)の惨烈を極める。現在は山の高さ200メートル、往時の激戦にて3メートルひくくなったといわれる。 山の頂上には英魂を弔う希典(まれすけ)書の碑がある。この詩の構造は平起こり七言絶句の形であって、上平声十五刪(さん) 韻の攀、艱、山の字が使われている。 転句は二六同となっていない。
結
句
転
句
承
句
起
句
乃木 希典
1849-1912
明治時代の陸軍軍人。長州藩(山口県)江戸屋敷に生まれる。文を吉田松陰の叔父玉木文之進、 剣を栗栖(くりす)又助に学び、また詩歌にも秀れ石林子、石樵(せきしょう)と号した。 歩兵第十四連隊長心得として西南戦争に出征し、連隊旗を西郷軍に奪われる屈辱を嘗(な)めたが、日清戦争では第一旅団長 として旅順を占領した。日露戦争では、第三軍司令官に任命された。明治37年大将。明治天皇の大葬当日静子夫人と 共に殉死した。年64。
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