漢詩紹介

吟者:辰巳 快水
2004年11月掲載

読み方

  • 中秋月を望む  <王 建>
  • 中庭 地白くして 樹 鴉を栖ましむ
  • 零露声無く 桂花を湿す
  • 今夜月明 人尽く望む
  • 知らず 秋思の 誰が家に在るかを
  • ちゅうしゅうつきをのぞむ <おう けん>
  • ちゅうてい ちしろくして じゅ からすをすましむ
  • れいろこえなく けいかをうるおす
  • こんやげつめい ひとことごとくのぞむ
  • しらず しゅうしの たがいえにあるかを

詩の意味

 今夜は中秋の名月。庭先の地面は月の光に白く輝き、樹々は静まって鴉のねぐらとなっている。やがて夜がしだいに更けて、露は声も無く木犀(もくせい)の花をしっとりと湿している。
 さて、今夜はこのように月が明るく照らしているのだから、天下の誰もがこの名月を仰ぎ眺めていることであろうが、その中でも最も秋の物思いにふけっているのはどこの家の人であろうか。(自分ほどの人はいないであろう)

語句の意味

  • 中 秋
    陰暦八月十五夜
  • 烏(からす)の一種で日本の烏より小さく口ばしが太く腹が白い
  • 零 露
    降りてくる露 「冷露」とする本が多い
  • 桂 花
    木犀の花

鑑賞

王建の名月に対する深い思い

 前二句は作者の目線の前または下にある庭中のさまを描写し、後半二句は目線の上にある明月から想像の世界に入っている。月を望む漢詩によくみられる構成である。
 主題を表す最も大切な結句には諸説がある。教本の「自分ほど秋の物思いにひたっている人はいないであろう」と直截的に自分に向けているのもその一つ。「いったいどこの家であろうか」に留まっているもの、「秋の物思いにふける人は誰であろうか」とむしろ自分以外の人に思いを巡らすもの、などである。自分ほど秋の愁いを感じる者はいないと言ってしまっては少し詩情をそこねて、鑑賞幅を狭くしてしまうように感じるがどうであろう。この詩の詠まれたころの作者の境遇を知りたいものである。

備考

 詩題にも諸説ある。本会の題のほか①「十五夜望月」②「十五夜望月寄杜郎中」(全唐詩)③「十五夜望月寄杜郎中時会琴客」(王建詩集)など。最も秋の物思いにふけっているのは①なら作者自身、②なら杜郎中、③によれば琴を弾いている客人となる。さまざまな角度から鑑賞できる。

参考

「古今和歌集」「百人一首」に同趣の和歌がある。中国人も日本人も感傷の心は同じなのであろう。

月見れば千千にものこそ悲しけれ
  わが身ひとつの秋にはあらねど (大江千里)

漢詩の小知識

   「全唐詩」

 唐代の詩の総集。900巻。唐の詩人約2200人、詩数約4万8900首を網羅したもの。清時代の1703年に、勅命によって編集された。あまりに膨大すぎて、専門家を除いて、日本ではあまり普及しなかった。

詩の形

平起こり七言絶句の形であって、下平声六麻(ま)韻の鴉、花、家の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

王 建  ?~830

中唐の政治家・詩人

 河南省頴川(えいせん=現在の許昌)の人で、字は仲初(ちゅうしょ)。大暦10年(775)の進士。秘書丞(ひしょじょう=皇帝の書籍管理官)、侍御史(じぎょし=文武百官の罪を糺=ただ=す役)などを歴任し、太和年間に河南省陜州(せんしゅう)の司馬(地方の軍事を司る)として転出、辺境の軍に従ったこともある。晩年は咸陽の田舎に住んでいた。張籍と親しく共に韓愈(かんゆ)の門下でもあった。楽府歌行(がふかこう)を得意とした。「王建詩集」10巻がある。詩は526首ある。