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7860 2字単語の間の罫線の意味

返信
  • 投稿者:
    漢詩大好きの「きんさん」
  • 地区:
    静岡県
  • 支部:

常磐雪行A13-2の4句目に「叱咤せしは」の1節があり、「叱-咤」となっています。備考にも説明がなく、パソコンで調べても出てきません。罫線にはどんな意味があるのでしょうか?
初めて出てくるのに説明がなく、困惑しています。よろしくお願いします。

投稿日時: 2019/11/06 13:29:51

No.7865 Re:2字単語の間の罫線の意味

  • 投稿者:
    熊谷峰龍
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    HP委員

漢詩大好きの「きんさん」からの質問にお答えいたします。
 A2-47(旧教本番号A13-2)常盤雪行の「叱-咤」にある罫線(ハイフン)は、漢詩訓読に用いられる記号のひとつで、正式には合符、竪点(たててん)、連続符などといい、動詞や形容詞などが2語以上の熟語のときに使います。たとえば「我観察鳥鳴」(我、鳥の鳴くを観察す)という文では「鳥鳴」から「観察」の熟語に返るわけですが、返り点の一を鳴に付け、二を付けるのは鳴の次に読む観に付けることになります。しかしこれだけでは「察鳥鳴」がひとつの塊になってしまいます。そこで熟語である「観察」の2字の間にハイフン「-」を入れて繋ぎ、このハイフン「-」の横に返り点の二を付けて読みやすくするわけです。
 このほかに「如-何」(いかん)、「以-為」(おもヘラク)、「嗚-呼」(ああ)などの用例もあります。
 関吟のテキストでは、ほかにA4-186夏日題悟空上人院にあるほか、数は多くありませんが律詩、古詩にも見られます。

投稿日時: 2019/11/15 09:28:51

7862 新Aその4p33ページ語句の意味 白草原

返信
  • 投稿者:
    教室を預かる者として
  • 地区:
    和歌山県
  • 支部:

新疆省羌県地方とありますが 正しくは?

投稿日時: 2019/11/09 15:43:36

No.7863 Re:新Aその4p33ページ語句の意味 白草原

  • 投稿者:
    とおりすがりA
  • 地区:
    和歌山県
  • 支部:

あなたのご見解は?

投稿日時: 2019/11/12 18:07:36

7861 アクセントの音高と強弱

返信
  • 投稿者:
    鈴木芦泉
  • 地区:
    神奈川県
  • 支部:
    東京芦孝会

言葉のアクセントは、英語では強弱、日本語は音高で表す。従い、詩吟で頭高では最初の音が音階が高い。平板では2語目が高い。しかし、高い音を強く発音し吟じる人が多く見受けます。山川-草木-転-荒涼では、全語が平板。「うたた」の最初のたを強くだすのはいかがなものでしょう。吟じている本人は気持ち良いでしょうが聞く方はたまりません。詩吟では、アクセントの高低と強弱は逆、つまり「うたた」は、うを強くたは抑えぎみのほうが奥の深い吟となるのでは。いかがでしょうか?

投稿日時: 2019/11/07 15:50:56

7848 教本漢詩採択・編集指針関連

返信
  • 投稿者:
    桃源郷
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:

教室では「巻頭言」から始めます。作者の心と同化して吟ずることに妙味があるというのはよく理解できます。私は高校では必修の現代文に加え漢文(古文ではなく)を選択しました。
三年の最終授業で担任の漢文の先生は「元二の安西に使いするを送る」を重返体で朗々と吟ってくれました。詩吟を聞くのは初めてのことで、巣立っていく生徒に寄り添い荒波に揉まても頑張ろうねとのエールを一同しっかりと受け止めました。その後60年の歳月を経て閑吟教本でこの歌を見つけ感激したのですが、題は「元二を送る」で吟も一返体になっています。希少な重返体をなぜ(吟題もふくめ)単純化されたのでしようか。 これでは、吟じようという意欲が個人の私情ですがそがれてしまします。王維の詩中の情も第四句に集約されているに違いありません。あまたの吟題の中からこれを選んだ吟者の気持ちもリスペクトすべきではないでしようか。他流波

投稿日時: 2019/10/18 00:14:45

No.7859 Re:教本漢詩採択・編集指針関連

  • 投稿者:
    shioyan
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    白鷺連合会

本件については、より詳しい方にお答え願うのが良いと思いますが、
個人的に前座的な意味合いで、小生思うことを書かせていただきます。

「元二を送る 王維」は、もちろん解説にもあるように原文題名は
「送元二使安西(元二の安西に使いするを送る)」であり、略しています。
題名を簡略にしている漢詩が数点あります。
たとえば
「題太田道灌借蓑図(太田道灌蓑を借るの図に題す)」 → 太田道灌
「題不識庵撃機山図(不識庵機山を撃つの図に題す)」」 → 川中島
「題常盤抱孤図(常盤孤を抱くの図に題す)」 → 常磐雪行
「題兒島高徳書櫻樹圖(兒島高徳櫻樹に書するの圖に題す)」 → 兒島高徳
そのほか
「金州城下の作」 → 金州城
「春夜洛城聞笛(春夜洛城に笛を聞く)」 → 春夜笛を聞く
「早発白帝城(早(つと)に白帝城を発す)」 → 白帝城
次のものなどは、わかりやすく言い直しています。
「桂林荘雑詠諸生に示す(其の一)」 → 塾生に示す
「桂林荘雑詠諸生に示す(其の二)」 → 親を思う

■これら、題名を簡略にしている意味合いは、あくまでわかりやすく
一般の方に詩吟・漢詩を幅広く普及させるためではないかと思われます。
この採択は、関西吟詩文化協会の前身である関西吟詩同好会として発足
したときまでさかのぼるようです。

それから
桃源郷さんのおっしゃる
担任の漢文の先生が「元二の安西に使いするを送る」を重返体で朗々と吟じてくれました
というくだりですが、「重返体」という言葉を初めて聞きます。
小生も学生現役時分は、この王維の「元二を送る」の最後のところでは
「無からん・無からん・故人無からん」と三回繰り返して吟じました。
ただ、正式でなく、惜別の場面や送別の会場でという限定でしたが・・・
これは、調べてみると以下のように書かれていました。
    ↓
渭城曲、陽関曲、陽関三畳などと呼ばれ、別れの宴席でよく歌われたそうです。
(三畳は三度繰り返すことです)
もともと七言絶句なのですが、わが国では下記のように、5、6行目を追加して
吟じられることが多いようです。

 渭城の朝雨 軽塵を浥す
 客舎 青青 柳色 新たなり
 君に勧む 更に尽くせ 一杯の酒(を)
 西の方 陽関を出ずれば 故人無からん

 無からん 無からん 故人無からん
 西の方 陽関を出ずれば 故人無からん

4行目の原文は「西出陽関無故人」ですが、「西」を「西の方」と和訳しています。
・・・・・・・・・・・・・・・
小生が思うに
こんなことから、中国でも日本でも(日本ならさしづめ蛍の光)惜別の時、送別の場面で
即興で名残惜しい気持ちを込めて、繰り返し最後のところを三度繰り返したのではないかと
従って、後付けの即興という理解であり、それ以上でもそれ以下でもないということでは
ないかと思いますが、如何でしょう?

※それから追伸ですが
学生時分に良く宴会の最後で歌った「惜別の歌」・・・遠き別れに耐えかねて
この高殿に登るかな・・・
島崎藤村の若菜集の一節を、時の中央大学学生が作曲し、後に小林旭が歌った歌謡曲として一世を風靡したことを思い出しました。

投稿日時: 2019/11/05 14:18:04

7853 A1-1江南春望の転句「八十寺」

返信
  • 投稿者:
    鈴木芦泉
  • 地区:
    神奈川県
  • 支部:
    東京芦孝会

最近、漢詩の作詩を学ぼうと「三多」の一つ、「多読」に励もうと、テキストを最初から読み直しはじめました。と、早くも難問にであってしまいました。「江南春望」の転句を「八十寺(はちじゅうじ)」と読み、「十」が仄字のため、「下三連」となっているとの解説。他流派では「はっしんじ」と読み、「十」は平字(下平声12侵)との解釈をしています。私も学校では「しひゃくはっしんじ」と読んでいました。「十」は仄字?平字?。かの杜牧様が、下三連を??。ここは『「はっしんじ」の読みとし、「十」は平字との解説』への修正を望むものです。

投稿日時: 2019/10/24 17:58:40

No.7854 Re:A1-1江南春望の転句「八十寺」

  • 投稿者:
    塩路澄誠
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    HP委員

掲示板アラカルト
2.教本・作詩に関する質問等の(20)漢詩の構成「八十寺」の読み方?
こちらを参照願いたいです。(右上のハウスアイコンをクリックしてください)

このように書かれています。

関西吟詩の教本詳解の江南春望の「備考」欄に解説がありますので転載します。
【転句の「八十寺」を「ハチジュウジ」と読むと、仄字下三連となり、よろしくない「ハッシンジ」と読むを可なりという説もあるが、本会では敢えて「八十寺」を「ハチジュウジ」と読んでいる。上智大学教授文学博士山田勝美著「中国詩選」でも「ハチジュウジ」と読んでよかろう。とされてある。】
・参考に平仄を見ると、「四百八十寺」の五字は、みな仄字(去・入・入・入・去)であるが、仄声が続き過ぎてみっともないので、古来より「十」を入声でなく平声で読む習慣があり、日本でもそれゆえ「ハチジュウジ」ではなく「ハッシンジ」と読む。という説を取り入れている詩吟界の流派も多くあります。(HP委員)

投稿日時: 2019/10/25 18:37:51

No.7855 Re:A1-1江南春望の転句「八十寺」

  • 投稿者:
    鈴木芦泉
  • 地区:
    神奈川県
  • 支部:
    東京芦孝会

塩路先生 ありがとうございます。教本詳解も読みました。でも・・・、「本会では敢えて「八十寺」を「ハチジュウジ」と読んでいる」この「敢えて」こうされた理由がわかればと。石川先生も「じゅう」と読むと、「四百八十寺」の5字が仄字になるので、と、「はっしんじ」とお読みになっています。

投稿日時: 2019/10/25 18:55:39

No.7857 Re:A1-1江南春望の転句「八十寺」

  • 投稿者:
    熊谷峰龍
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    旭峰吟詠会

 鈴木芦泉先生に、率直に、私の普段からの思いをお伝え致します。この意見は、本部のホームページ委員として本部を代表して書き込むものでなく、先生がお名前を出されて投稿されたことに対して、私個人の思いを述べたものであります。まず、先生の吟詠、漢詩の深淵に迫ろうとする姿勢に深い敬意を表したいと思います。
 ここで広く、世間の皆様に問いかけます。文部省監修の教科書に「四百八十寺」の読みが「しひゃくはっしんじ」となっていて、授業で先生はそう読ませましたが、この変な読み方の理由を、その先生は生徒に説明しましたか? 説明されたとしても、あなたはそれを「うん、なるほど」と納得しましたか? 私は強い違和感をもちました。大阪弁で「なんでやねん」です。中国人が自国語で作ったものを日本人が日本語に直して読むときに、訓読み、音読みが、ごちゃまぜになります。そこに平仄を、どうして取り入れますか? 複雑怪奇です。 平仄は漢詩の近体詩のルールですが、日本語に直したとき、近体詩のルールは、どこに適用されますか? 日本語に下三連という文法はありますか? ひっかかりが少なくて、わかりやすいのが、第一ではないでしょうか。
 漢詩を作詩される先生方は、平仄、押韻、孤平、二六同とか下三連などに気を配り、和臭に気を付けたり、いろいろ苦労して素晴らしい作詩に励んでおられますが、詩情を込めながらも、ほぼ、漢字の並びに全精力を注がれていて、「ここは、こう読んでもよろしいですか」とお聞きすると「そう読んでもいいなあ」と、失格、0点になる読み方も「結構です」となります。読み方は、そんなに問題ですか。0点になる人、哀れです。話がそれました。
 「権威」に、人は弱いものです。文部省の監修する教科書は、権威の頂点です。この教科書を作る時、漢詩界の権威者たちが下三連だからと説けば「はっしん」となりましょう。日本全国の子供達、生徒達が学校で習います。石川先生が「はっしんじです」とおっしゃるのは、漢詩の先生で、それは当然のことです。でも、日本には「はっしん」という言葉はありません。八十寺を、敢えて「はっしんじ」とせず、関西吟詩は「はちじゅうじ」……教本詳解の解説を私は誇りをもって強く支持します。………ごめんなさいね
 その辺で拾ったものを、次に続けておきます。

 小川環樹「「南朝四百八十寺」の讀み方」『中國語學』100 (1960.6)=『音聲科學研究』(1961)=『中國語學研究』(東京:創文社, 1977), 77-86
 小川教授の結論は、破格の詩は少なくないから、一々読み替えなくてもよい、というのが結論です。ハッシンジと読み替えたりするには及ばないということです。
 この論文にはさらに十二と十五の十はシプでなくシムと発音されていたらしいことが指摘されています。後続する二と五の語頭音に鼻音の要素が残っていたので、同化して -p が -m に変わったというのです。ただしこれは入声韻尾が陽音韻尾にかわるだけなので、変わった結果が平声か上声か去声かはわかりません。平仄の関係で変わったわけではないので、当然ですが。
ただし論述の導入として中国人の漢詩に対する注記を紹介しています。白楽天の
  緑浪東西南北水 紅欄三百九十橋
のうちの十は忱と読めという注があるそうです。作詩法の規則に基づいて入声を平声に読み替えよということですから、南朝四百八十寺の場合と精神は同じことです(白楽天のは律詩ですが)。「八十寺十字叶平聲」という注も『三体詩備考大成』から引いてありました。
 ということは最初の質問で書いた十を侵で読めというのは韻母だけが問題になっている、すなわち声調だけが問題となっていることです。声母はそのままでシフをシムと読めという指示でした。だからそれに従って普通話音で読み替えるとすれば十shi1ということです。しかしいろいろ教えて頂いたところでは、中国人も小川教授と同じく、そんなところではいちいち読み替えないということのようです。
 松浦友久・植木久行『杜牧詩選』(=岩波文庫 赤22-1)(東京:岩波, 2004), 18 の注記によると、現代の中国の注釈では、ここの読み替えに触れるものはほとんどないということです。中古音とは相当に違う現代音で読み替えをしてもあまり意味がないからなのでしょう。もっと関係の薄い日本で読み替えをしているのは、単にペダンティズムということになってしまいそうです。

投稿日時: 2019/10/26 23:21:00

No.7858 Re:A1-1江南春望の転句「八十寺」

  • 投稿者:
    塩路澄誠
  • 地区:
    大阪府
  • 支部:
    HP委員

小生も熊谷先生に同感で、漢詩の作法でいうところの読みと
詩吟で表現するところには、違いも出てきて当然ではと思います。
どう調べてみても「十」を「シン」と読んで良いという解説が
小生浅学なためか見当たりません。
やはり聞いて意味がわかるかな?という違和感が先走ります。
相対的に音読みを訓読みにしてわかりやすく素読することなどで、詩文のニュアンスは
聞いていても理解しやすいのではないかと思います。
ところで、ネットをいろいろ検索していると、おもしろいというか、なるほど!
へーそうやろか?!という信憑性はどうやろ?というようなお話があったので
ご紹介しておきます(笑)
 ↓
中国人にこの詩を朗読してもらったら『四百八十寺』のところは
『スーパイパーシーシー』に聞こえてしまいちょっと(;゜ロ゜)
そうか!『しひゃくはっしんじ』と読ませるのは原語から来ているのか-?

なんていうのがあったので、思わず笑ってしまいましたが、皆さんどう思われます?

投稿日時: 2019/11/05 11:46:48