漢詩紹介

吟者:池田菖黎
2011年1月掲載[吟法改定再録]
読み方
- 辛漸を送る <王昌齢>
- 寒雨江に連なりて 夜呉に入る
- 平明客を送れば 楚山孤なり
- 洛陽の親友 如し相問わば
- 一片の氷心 玉壺に在りと
- しんぜんをおくる <おうしょうれい>
- かんうこうにつらなりて よるごにいる
- へいめいかくをおくれば そざんこなり
- らくようのしんゆう もしあいとわば
- いっぺんのひょうしん ぎょっこにありと
詩の意味
冷たい雨が長江の川面に降り注ぐ中を昨夜君はこの呉の地にやってきた。(別れの宴をした後)そして今朝早く洛陽へと旅立つ君を送れば、君の行く手には楚の山がぽつんと姿を見せている。
君がこれから洛陽に帰って、親友たちがもし私のことを尋ねたなら、私は一片の氷が玉の壺の中にあるように、清く澄み切った心境で暮らしていると答えてくれ。
語句の意味
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- 平 明
- 夜の明け方
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- 客
- 旅人 辛漸をさす
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- 楚 山
- 楚の国の山 「楚山孤」は辛漸と別れたあとの作者の孤独な心を象徴している
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- 氷 心
- 氷のような澄み切った心
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- 玉 壺
- 南朝の宋の飽照(ほうしょう)の「清きこと玉壺の氷の如し」(代白頭吟)に基づく 白玉でつくられた壺 高潔な心
鑑賞
すべてを語る「一片の氷心玉壺に在り」の名句
季節は晩秋。今の南京の副知事をしていたころの作と思われる。辛漸と作者の関係は、親しい友人である程度で、深いつながりは不詳である。前半は送別の宴を終え、船で北に向かう友人をさみしく送っている光景。「楚山孤なり」は孤峰の姿の実景であろうが、取り残された作者の孤独な姿の象徴と見るべきである。後半は送別の詩でありながら送る側の不遇を暗に嘆じており、一般の送別の詩とは趣を異にする。
とはいえ、この詩の眼目は結句の七文字である。王昌齢は進士に合格した秀才であるのに、素行に問題があったので天子や政界から疎まれた。こういう場合、特に法を犯さなくても左遷される。しかし左遷されても自分は天地神明に誓って無類の潔癖な心の持ち主だと訴えている。日の目を見ない一生であった作者の叫びのようなものをこの句に感じる。
備考
この詩の本題は「芙蓉楼(ふようろう)にて辛漸を送る」であるが、本会では「辛漸を送る」と略した。「芙蓉楼」は今の江蘇省鎮江市の西にあって、「万歳楼」と対面し、北に長江を見下ろす楼。ここから大運河が華北に通じており、辛漸もこの経路を辿ったと思われる。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、上平声七虞(ぐ)韻の呉、孤、壺の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
王昌齢 698~755
盛唐の政治家・詩人
字は少伯(しょうはく)。京兆(けいちょう=西安)の人。一説には江寧(こうねい=江蘇省南京)の人ともいう。29歳で進士となる。校書郎(図書校閲官)から氾水(はんすい=河南省)の尉(県の次官)となるも素行おさまらず、官界の評判は悪く各地に転任される。七言絶句の名手で、特に宮怨(きゅうえん)の詩(宮女の嘆きを歌った詩)は李白も及ばないといわれる。李白、孟浩然、高適らと交遊があった。安禄山の乱で郷里に帰った折、刺史(しし=州の地方長官)の閭丘暁(りょきゅうぎょう)に殺された。「王昌齢集」5巻がある。享年57。