漢詩紹介

CD④収録 吟者:中 永捷
2016年1月掲載
読み方
- 清平調詞(其の一) <李白>
- 雲には衣裳を想い 花には容を想う
- 春風檻を払うて 露華濃やかなり
- 若し 群玉山頭に 見るに非ずんば
- 会ず 瑶台月下に 向かって逢わん
- せいへいちょうし(そのいち) <りはく>
- くもにはいしょうをおもい はなにはかたちをおもオ
- しゅんぷうかんをはろオて ろかこまやかなり
- もし ぐんぎょくさんとうに みるにあらずんば
- かならず ようだいげっかに むかってあわん
詩の意味
この美しい五色の雲を見ると楊貴妃の衣装が思われ、牡丹の花を見ては美人のあでやかな容色が連想される。いま春風が沈香亭の欄干を吹き渡る中、光る露はこまやかにしっとりと輝いている。
このような美人は、西王母の住む群玉山のほとりでもお目にかかるのでなければ、きっと月光の降り注ぐ玉でつくられた宮殿で巡り合う人なのだろう(宮殿でしかお逢いできないでしょう)。
語句の意味
-
- 清平調詞
- 楽曲に合わせてつくられた歌詞
-
- 花
- 牡丹 楊貴妃をなぞらえる
-
- 露 華
- 光る露 花のような露
-
- 群玉山
- 古くから信仰された仙女の西王母が住んだという神話中の山の名
-
- 瑶 台
- 玉で造られた伝説の宮殿 美女が住む 「瑶」は玉を散りばめたさま
鑑賞
この世に比べるべき人もない楊貴妃の美しさ
玄宗皇帝が、長安の興慶宮での遊宴の際、楊貴妃と牡丹を賞でながら李白に作らせた歌である。この時、李白は翰林供奉(かんりんぐぶ)という役職で、それは皇帝の文書の草案作りや遊宴の時などに即興詩を作るなど、李白のために臨時に設けられた役職であった。作詩を命じられた李白もここで自分を売り込む好機と考えたか、美辞を連ねて褒め称えている。群玉山には伝説の美人が住んでいるが、さらに仙人が住む瑶台には超美人がいるという。そこに入って初めて貴妃のような美しい人に会うことができるというほど彼女はお美しい、という歌である。つまりこの世には比べる人がいないのである。比類なき美女とうたわれて玄宗もさぞかしご満悦であったろう。
備考
「清平調詞」とは
中国の古い民謡に清調、平調、瑟(しつ)調とあり、その清調と平調を巧みに組み合わせたものが清平調。その曲調に叶うように作った歌詞。ただ諸説があり定まらない。
参考
宴席での即興詩人 皇帝の眼鏡に叶った李白
唐の李濬(りえい)の著書「松窗録(しょうそうろく)」の中にエピソードが記されている。その一部を脚色しながら紹介してみる。
開元元年の遊宴の際、いつものように李亀年(きねん)という宮廷歌手が楽団を引き連れて進み出、祝い歌を始めようとした時、皇帝はそれをさえぎって「名花と后が揃っているのに、また昔ながらの歌か」と不快感を見せたところ、側近が李白を呼び寄せ「新しいみやびな詩を聞きたい」と命じた。すると彼は前日の酔いがまださめないものの、忽ちこの「清平調詞」3首を奏上した。玄宗はさっそく梨園(宮中音楽所)の楽士に命じて管絃を奏でさせ、李亀年に歌わせ、皇帝自身も玉笛を吹いて曲にあわせ楽しんだ。楊貴妃も葡萄酒を口に含みながらこの曲を聴いて笑みを浮かべていた。このことがあってから皇帝は李白に特別に目を掛けるようになった。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、上平声二冬(とう)韻の容、濃、逢の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
---|---|---|---|
作者
李 白 701~762
盛唐時代の詩人
四川省の青蓮郷(せいれんきょう)の人といわれるが出生には謎が多い。若いころ任侠の徒と交わったり、隠者のように山にこもったりの暮らしを送っていた。25歳ごろ故国を離れ漂泊しながら42歳で長安に赴いた。天才的詩才が玄宗皇帝にも知られ、2年間は帝の側近にあったが、豪放な性格から追放され、再び漂泊した。安禄山の乱後では反朝廷側に立ったため囚われ流罪となったがのち赦され、長江を下る旅の途上で亡くなったといわれている。あまりの自由奔放・変幻自在の性格や詩風のためか、世の人は「詩仙」と称えている。酒と月を愛した。享年62。