漢詩紹介

吟者:松尾 佳恵
2005年4月掲載
読み方
- 清平調詞(其の二) <李白>
- 一枝の濃艶 露香を凝らす
- 雲雨巫山 枉げて断腸
- 借問す漢宮 誰か似るを得ん
- 可憐の飛燕 新粧に倚る
- せいへいちょうし(そのに) <りはく>
- いっしののうえん つゆこうをこらす
- うんうふざん まげてだんちょう
- しゃもんすかんきゅう たれかにるをえん
- かれんのひえん しんしょうによる
詩の意味
一枝のなまめかしい牡丹の花に露がしっとりとおり、芳香を凝結して散らせないようにしているようだ。(夢の中で)「朝には雲となり暮れには雨となる」と契った巫山の女神の姿が夢から覚めた時に見当たらなければ襄王は断腸の思いをすることであろう。(それにひきかえ、今、ともに牡丹を観賞している女神・楊貴妃は夢ではなく現実である)
ちょっとおたずねするが、漢の成帝が置いたという美人ぞろいの後宮にあって誰が楊貴妃と比較できましょうか。それは可愛らしい趙飛燕が新たに化粧したばかりの美しさを頼みにし、誇らかにしている姿こそまず比べられるでしょう。
語句の意味
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- 一枝濃艶
- 一枝の牡丹の花のあでやかさ 楊貴妃の美しさにたとえた
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- 雲雨巫山
- 楚の襄王が巫山の女神と契った故事
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- 枉
- 空しく
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- 借 問
- 前漢の成帝の寵妃(ちょうひ)で漢代随一の美人といわれた その後皇后の位に就く
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- 倚新粧
- 化粧をしたばかりの美しさを頼み誇らかにする
鑑賞
比べようもない楊貴妃の美しさ
この詩は2つの故事が織り込まれ、難解な詩である。
まず初めの巫山の女神の故事。宋玉の「髙唐賦」に出ている話で、楚王が高唐に遊び、昼寝をしていると一人の美女が現れ、楚王と契った。去る時にその女神は「朝には雲となり暮れには雨となり、朝々暮々陽台の下にいます」と言って去って行ったという。夢から覚めて、現実でないことに気付き王は悔やんだという話。
次の趙飛燕は前漢の成帝の寵愛を受けた超美人。身分は低かったが、先の夫人を押しのけて后の位を得た。歌舞に長じ、軽やかなしぐさは飛ぶ燕のようであった。ところが皇后になってから、やはり帝の寵愛を受けた妹とともに成帝を困らせるようなことばかりしていたので、成帝の死後は庶人の位に落とされ、自害したという話。
いずれにしても、漢の後宮にも匹敵するものが無く、唯一歴史的美人の飛燕に適(かな)うという。楊貴妃は測りがたい美人である。
備考
調子に乗って褒めすぎ、墓穴を掘った宮廷詩人
もう一つ逸話がある。「松窗録(しょうそうろく)」から借用する。李白が玄宗の牡丹観賞の宴に招かれた折、酔いに任せて宦官(かんがん)の高力士に靴を脱ぐのを手伝わせたことがあった。高力士はこのことに深い屈辱と恨みを抱いていたので、その復讐のためこの詩の飛燕を借りて楊貴妃に讒言(ざんげん)した。「李白は、美しい飛燕になぞらえて貴妃さまを見くだしているのですよ」と言う。そして飛燕が宮中でふるまった悪態や自害したことなど、話を続けた。真に受けた貴妃は玄宗に告げた。そのためだけではないのだが、李白は長安から南方の夜郎に追放された。わずか2年足らずの表舞台であった。これ以降、李白は長安に戻ることはなかった。
詩の形
平起こり七言絶句の形であって、下平声七陽(よう)韻の香、腸、粧の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
李 白 701~762
盛唐時代の詩人
四川省の青蓮郷(せいれんきょう)の人といわれるが出生には謎が多い。若いころ任侠の徒と交わったり、隠者のように山にこもったりの暮らしを送っていた。25歳ごろ故国を離れ漂泊しながら42歳で長安に赴いた。天才的詩才が玄宗皇帝にも知られ、2年間は帝の側近にあったが、豪放な性格から追放され、再び漂泊した。安禄山の乱後では反朝廷側に立ったため囚われ流罪となったがのち赦され、長江を下る旅の途上で亡くなったといわれている。あまりの自由奔放・変幻自在の性格や詩風のためか、世の人は「詩仙」と称えている。酒と月を愛した。享年62。