漢詩紹介

吟者:山口華雋
2010年10月掲載

読み方

  •  己亥の歳  <曹松>
  • 沢国の江山 戦図に入る
  • 生民何の計りごとあってか 樵蘇を楽しまん
  • 君に憑る話すこと莫れ 封侯の事
  • 一将功成り 万骨枯る
  •  きがいのとし  <そうしょう>
  • たっこくのこうざん せんとにいる
  • せいみんなんのはかりごとあってか しょうそをたのしまん
  • きみによるはなすことなかれ ほうこうのこと
  • いっしょうこうなり ばんこつかる

詩の意味

 水郷地帯の山も川も戦場に組み入れられてしまった。こんな中では、民衆はどうして木や草を刈るようなささやかな生活でさえ営むことができようか。
 君よ、諸侯に封ぜられることなど、どうか言わないでほしい。一人の将軍が手柄を立てるとき、その陰には無数の人々の命が奪われているのだから。

語句の意味

  • 己亥歳
    つちのといの歳 879年 黄巣(こうそう)の乱の最中
  • 沢 国
    川や湖沼(こしょう)の多い地方 ここでは淮河(わいが)の流域
  • 戦 図
    作戦範囲 戦争が行われている地域
  • 樵 蘇
    「樵」はきこり「蘇」は草刈り 民衆の日常生活
  • 憑 君
    君にお願いする 「君」は将軍たち
  • 封 侯
    諸侯に取り立てられる
  • 万 骨
    数多くの人々の生命

鑑賞

  「一将功成り万骨枯る」の真髄(しんずい)は

 作者49歳のころの作という説もある。このころ唐帝国を滅ぼすべく黄巣の乱が起きている。西の四川(しせん)、中部の湖南、東の安徽、江蘇等の各省に加え、都長安に至るまで大混乱に陥った。革命と言えば聞こえは良いが実は権力争奪戦の農民反乱である。人民が塗炭(とたん)の苦しみをしていることに思いをやり、反乱者への鋭い批判が読み取られる重苦しい詩である。
 後半2句は、王昌齢の「閨怨」(けいえん)の詩形を真似たという解説がある。つまり「閨怨」では妻が「どうか手柄を立てて諸侯になってください」と夫に呼び掛けている。この詩では「どうか諸侯にはならないでほしい」と言うところがその根拠である。しかし呼び掛けるところは似ているが、場面も呼び掛ける立場の人も対象もまったく違っているので「閨怨」の真似という説は採らない。
 結句の「一将功成って万骨枯る」は「一」と「万」、「成る」と「枯る」の対語を用いて口調もよく力強く、世の真実をついている名言ゆえに、これだけが独立して格言として流布(るふ)しているほど有名になっている。今流にいえば、上の者の成功の陰には常に下の者のつらい犠牲があるという意味に用いられる。

参考

  黄巣の乱(875~884)とは

 唐末におこった大農民反乱。乱はまず塩の密売人の王仙芝(せんし)によって河北で起こされた。同業の黄巣がこれに呼応した。王の死後は黄巣が首領となったのでこの名がある。彼は科挙の失敗者と言われ、不平分子や流民(るみん)を中心に徒党を組み、山東地方で挙兵し、やがて洛陽・長安を陥(おとしい)れ、さらにほぼ中国全土に権力を伸ばし、大斉国皇帝と自称したが、節度使李克用(りこくよう)に滅ぼされた。乱後は群雄が割拠(かっきょ)し、唐はしだいに衰え、908年に滅んだ

詩の形

 仄起こり七言絶句の形であって、上平声七虞(ぐ)韻の図、蘇、枯の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

曹 松 830?~901?

  晩唐の詩人・役人

 安徽省舒州(じょしゅう)の人。字は夢徴(むちょう)。若いころは乱を避けて江西省南昌に隠棲していた。「推敲」の故事で有名な賈島(かとう)について詩を学んだ。職に就かず一生貧に苦しんだが、70歳?を過ぎてようやく進士に及第した。極めて稀なことで、この時老人合格者が5人いたので、「五老榜=ぼう」(榜は科挙の合格者を発表する立札)といわれた。秘書省校書郎(典籍の校訂を司る)の役を与えられた。享年71?