漢詩紹介

従軍行  王昌齢

吟者:松野春秀
2010年11月掲載

読み方

  •  従軍行 <王昌齢>
  • 秦時の明月 漢時の関
  • 万里長征 人未だ還らず
  • 但龍城の 飛将をして在らしめば
  • 胡馬をして 陰山を 渡らしめず
  •  じゅうぐんこう  <おうしょうれい>
  • しんじのめいげつ かんじのかん
  • ばんりちょうせい ひといまだかえらず
  • ただりゅうじょうの ひしょうをしてあらしめば
  • こばをして いんざんを わたらしめず

詩の意味

 秦の時代にも輝いていた明月、漢の時代から設けられていた関所、これらは今も昔も変わりがない。そして今、兵士達は遠い遠い辺境に出征して未だに帰ってこないのだ。
 かつて龍城で活躍した飛将軍といわれた李広のような名将がいたなら、胡(えびす)の馬に陰山を越えて攻めてくるようなことはさせないであろうけれども、今立派な将軍がいないのは嘆(なげ)かわしい。

語句の意味

  • 従軍行
    楽府題の一つで軍人の遠征の辛苦を歌った詩
  • 龍 城
    匈奴の地名で陰山山脈の北にある 現在の内蒙古自治区にある
  • 飛 将
    前漢の将軍李広のこと 匈奴が恐れて飛将軍という
  • 陰 山
    山西省の北方から内蒙古に広がる山脈 万里の長城とゴビ砂漠に挟まれた位置に在り漢と匈奴との国境の役割をなす

鑑賞

  名将軍出でよ 唐の人々の平和を守ってくれ

 「唐詩選」の編者とされる李攀龍(はんりょう)は「唐詩絶句中最高傑作」と述べている。この詩は長い中国史をも伝えて、広がりを見せるところも傑作の一要素である。唐の兵士たちが昔に変わらぬ明月を見ながら、また700年前に作られた関所を通過して北方へ出征する。苦戦を強いられ生還者は誰もいないという過酷な戦況を前半二句で伝える。後半二句では、前漢時代の飛将軍の活躍で匈奴を撃退し、おかげで漢民族が平穏に暮らせたことを述べたうえで、しかし今は偉大な将軍がいないため、国境が脅かされ大唐帝国に侵略の水が流れ込む兆しであると訴える。詩人は不安を感じ、国民には恐れが生じ始めた。その危機はやがて安禄山の乱に続いていくのである。
 この詩の特定の地を知ることは難しい。国境地帯が舞台であることは確かであるが、匈奴は陰山山脈の北と言われても、その山脈は東西に長いし、匈奴はとてつもなく広い。長安から遥か西の玉門関の手前あたりが、この詩の舞台だとする本もあるが、それなら陰山山脈は既に切れていて詩中の語と矛盾する。また実際に匈奴を攻めたのは衛青という人物で李広将軍は戦っていないという解説もある。しかしこの詩はそういう検証をするよりも、優先して、当時の兵士やその家族の苦しみや人々の不安を詠っていることをしっかり掴みたい。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、上平声十五刪(さん)韻の関、還、山の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

王昌齢  698~755(諸説あり)

  盛唐の政治家・詩人

 字は少伯、京兆(けいちょう=西安)の人。一説には江寧(こうねい=江蘇省南京)の人ともいう。29歳で進士となる。校書郎(図書校閲官)から氾水(河南省)の尉(県の次官)となるも素行おさまらず、官界の評判は悪く各地に転任される。七言絶句の名手で、特に宮怨の詩(宮女の嘆きを歌った詩)は李白も及ばないといわれる。李白、孟浩然、高適らと交遊があった。安禄山の乱で郷里に帰った折、刺史(州の地方長官)の閭丘暁(りょきゅうぎょう)に殺された。「王昌齢集」5巻がある。享年57。