漢詩紹介

読み方
- 秋 思 <許 渾>
- 琪樹の西風 枕簟の秋
- 楚雲湘水 同遊を憶う
- 高歌一曲 明鏡を掩う
- 昨日は少年 今は白頭
- しゅうし <きょこん>
- きじゅのせいふう ちんてんのあき
- そうんしょうすい どうゆうをおもオ
- こうかいっきょく めいきょうをおおオ
- さくじつはしょうねん いまははくとう
詩の意味
美しい庭の樹々に秋風が立ち、枕や竹の莚(むしろ)も冷ややかに感じられるころとなって、昔、楚山の雲や湘江の水のほとりで、ともに遊んだ人たちのことを思い起こして懐旧の念に堪えない。
そこで愁いを忘れようとして声高らかに一曲歌い、歌い終わって鏡を取って自分の姿を見たが、すぐ蓋(ふた)を覆ってしまった。それは昨日までの紅顔の美少年が、はや今は白髪の老人となってしまったことに驚いたからである。
語句の意味
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- 琪 樹
- 崑崙山(こんろんざん)の北にあるという玉のなる木 ここでは庭の木を美称したもの
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- 西 風
- 秋風
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- 枕 簟
- 枕と(秋には涼しすぎる)竹で編んだ筵
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- 楚 雲
- 楚の襄(じょう)王が巫山(ふざん)の神女と遊んだ〝巫山雲雨〟の故事
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- 湘 水
- 古の聖王舜(しゅん)の二人の妃(娥皇と女英)が舜の死を悲しみ湘水の女神となった伝説
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- 掩明鏡
- 鏡を覆い隠す
鑑賞
神仙や伝説を好み、夢想にふけった病弱な青年時代
この詩は作者が郢州(えいしゅう)の刺史(しし)に謫(たく)せられた時、秋を迎えて自分の老いを嘆じたもの。この類の詩は李白の「秋浦の歌」の「白髪三千丈……」が有名であるように、老いを嘆くのは詩の素材には常用される。ただこの詩は若い時の耽美(たんび)な思い出が二句に織り込まれて「楚雲湘水」と引用した。「楚雲」とは昔、楚王が巫山に遊んだとき、昼寝をしていると、どうぞ一緒に休ませて下さいな。王はしばし寝床を同じくして寵愛したが、やがて別れの時が来ると、その女は「朝は雲となって山にかかり、夕べは雨となってあなたをお慕いしております」と言って、いずこともなく去っていった。不思議な夢から醒めた王が翌朝巫山の空を眺めてみると、夢の中の女が言ったとおり、美しい光を受けた朝雲が漂っていたという故事。
「湘水」とは、春秋時代に舜という聖天子が洞庭湖に注ぎ込む湘江の上流に巡行中、運悪く病に伏した。これを聞いた二人の妃は現地へ行く途中、天子の死を聞き、悲嘆のあまり湘水に身を投げて水神となった伝説を連想したものであろう。この二つの伝説に作者は深い関心をもっていたことが「唐才子伝」に見る次の一詩で窺い知れる。
許渾がある日、崑崙山に登ったとき白昼夢に現れた美人に詩を求められて、
十里山を下れば空月明かなり
と吟じた。
後日再び夢の中でその美人に会い、「貴方はなぜわたしの名を世間に知らせたのか」と迫られたので、第二句を「天風吹き下る歩虚(ほきょ)の声」と改めたところ、美人は機嫌よくなった、という逸話がある。こういうロマンチックな思い出を全部まとめて「楚雲湘水」と表現した。俗を厭(いと)い神仙や伝説を好んで夢に酔うような青年時代を懐古している場面だろう。そして突然、見るのも嫌な自分の老顔へ急落する。面白い詩の運びである。
参考
崑崙山について
昔、中国の西方にあると考えられた伝説の霊山で、仙女である西王母が住む所。今のチベットと新疆(しんきょう)ウイグル自治区の境を東西につらなるクンルン(崑崙)山脈とは別のもの。
なお西王母は崑崙山に住み、不死の薬を持っているといわれた伝説上の美しい仙女。漢の武帝に3千年に一度実るといわれた桃を献上したとの伝説もある。子授けの信仰の対象となる女神としても扱われている。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、下平声十一尤(ゆう)韻の秋、遊、頭の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
許 渾 791~854?
晩唐の詩人・役人
字は用晦(ようかい)。潤州(じゅんしゅう=江蘇省丹陽県)の人。太和(たいわ)6年(832)の進士。太平県などの令となる。若い時から苦労心労のためやせ細り、病気になって罷免(ひめん)されたが、のち復活し、849年監察御史(かんさつぎょし)に任ぜられた。ついで虞部員外郎(ぐぶいんがいろう)から睦(ぼく)州、郢(えい)州の刺史(しし)を歴任するも、再び病に倒れ隠棲した。享年64? 別荘が京口の丁卯橋(ていぼうきょう)のほとりにあったので詩集を「丁卯集」(2巻)と名づけた。