漢詩紹介

読み方

  •  長安主人の壁に題す <張 謂>
  • 世人交わりを結ぶに 黄金を須う
  • 黄金多からざれば 交わり深からず
  • 縦令然諾して 暫く相許すも
  • 終に是 悠悠 行路の心
  •  ちょうあんしゅじんのへきにだいす <ちょう い>
  • せじんまじわりをむすぶに おうごんをもちう
  • おうごんおおからざれば まじわりふかからず
  • たといぜんだくして しばらくあいゆるすも
  • ついにこれ ゆうゆう こうろのこころ

詩の意味

 世間の人は友人と交際するにも金の力を借りている。金を多く使わないと、付き合いも一向に深くならない。

 たとい一時は、よし引き受けたと心を許して付き合ってくれても、こちらが貧乏になってくると、いつの間にか行きずりの人のように冷たく疎遠になってしまうのである。

語句の意味

  • 主 人
    宿舎の主人
  •  須
    する必要がある
  • 然 諾
    よろしいと引き受ける
  • 悠 悠
    遥かに隔たるさま ここでは疎遠で無関心な態度
  • 行路心
    道を行く通りすがりの人が互いに無関心のような気持ち

鑑賞

  金の切れ目が縁の切れ目の世の中

 金銭の多寡によってお互いの交遊が左右される軽薄な人情を憤慨して作った詩。まだ二十歳を過ぎたばかりの頃、進士の試験を受けるため長安の宿屋にいた。初めは手厚く待遇されていたが、落第したとたん掌を返すような扱いを受けたので、怒って宿屋の壁に書きつけたものといわれている。世人の薄情さは今も昔も少しも変わらない。いやむしろ金のみならず名誉にも人々はなびく。周囲を見れば、その例は数えきれない。

 それにしても、こういう俗世間への怒りは、歴史や喜怒哀楽や花鳥風月を主たる趣とする漢詩の世界では詩になりにくいのが実態であるが、若い時の作品でありながら「唐詩選」にも採用されている名詩となっていることに、作者の異才ぶりを感じる。どの解説書にもあるが、この詩は杜甫の「貧交行」と共通する主題であるといわれている。杜甫は感情を抑えながら訴えているが、張謂のものは若い感情がそのまま露骨に出ている。やはり年齢の違いからくるものなのであろう。

参考

  孔子でさえ富と貴とは望むところと認めている

 子曰く「富と貴とは是れ人の欲する所なり。其の道を以て之を得ざれば、居らざるなり。貧と賤とは是れ人の悪(にく)む所なり。其の道を以て之を得ざれば、去らざるなり。君子は仁を去りて悪(いずく)にか名をなさん。君子は終食の間にも仁に違うことなく、造次(ぞうじ)にもかならず是に於いてし、顛沛(てんぱい)にも必ず是に於いてす」と。(論語)

(富貴は人の望むところだが、人が不正な方法でこれらを手にしたなら、その富貴の境遇に安住しないものだ。貧賤は人の嫌がるもの。人が当然貧賤になるような方法でそうなったら、その境遇から逃れられない。君子は「仁」の心から離れてしまったら、どこに君子という名が成り立とうか。君子は食事の間も、あわてる時も、危急存亡のときも必ず「仁」の心に基づいて行動するものである)

詩の形

 平起こり七言絶句の形のようであるが、二四不同、二六同、孤平を忌むなどの作詩の原則が疎かになっているので、むしろ古詩に近い拗体である。下平声十二侵(しん)韻の金、深、心の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

張 謂 720~780

  盛唐の詩人・役人

 河南省沁陽県(しんようけん=洛陽の東北で沁水のほとり)の人。天宝2年、22歳で進士に及第。37歳の時、尚書郎となり夏口(武漢市)で李白と知り合い交流が続いた。大暦年間に礼部侍郎(文部科学副大臣級)となり、のち潭州(たんしゅう=現在の長沙市)に左遷された。その後の経歴は不明。酒好きで淡白な性格で、湖や山を訪ねるのを楽しみにしていた。享年50。