漢詩紹介

CD④収録 吟者:塩路澄誠
2016年5月掲載

読み方

  •  桑乾を度る  <賈 島>
  • 客舎并州 已に十霜
  • 帰心日夜 咸陽を憶う
  • 端無く更に渡る 桑乾の水
  • 却って并州を望めば 是故郷
  •  そうかんをわたる  <かとう>
  • かくしゃへいしゅう すでにじっそう
  • きしんにちや かんようをおもオ
  • はしなくさらにわたる そうかんのみず
  • かえってへいしゅうをのぞめば これこきょう

詩の意味

 并州の宿舎に10年も旅暮らしをして、毎日長安に帰りたいと思い続けていた。
 このたび計らずも更に桑乾河を渡って故郷と反対の北に行くことになった。いやだと思っていた并州が、10年もいたせいか、今は却って故郷のように懐かしく思えてきた。

語句の意味

  • 桑 乾
    山西省大同の南を東流し河北省で盧溝河に入る河の名
  • 并 州
    山西省太原市
  • 十 霜
    10年
  • 咸 陽
    陝西省咸陽市 ここではばくぜんと都長安を指す
  • 無 端
    計らずも

鑑賞

  「住めば都」とはよく言ったものだ

 勅命で并州に10年間勤めた。いやな任地であったが、この度の転勤命令でさらに北に行くことになった。桑乾河を越えるころには、并州が自分の故郷のように懐かしく思われたという詩意である。現代人にも十分通じる「住めば都」の心境が共感できる。地名を押さえておくことが大切。洛陽を中心にすれば、ずっと西が長安で、北に并州(太原市)、その北に桑乾河。新任地の都市名は不明だが、さらに北にある。
 ついでながら賈島の出身地はもっと北にある范陽(北京)だから、むしろ生まれ故郷に近づいたのであるが、その喜びはどこにも出ていない。晩年の役は四川省が多かったので、この詩はもう少し若い、中年のころのものと思われる。

備考

  「渡る」と「度る」について

 辞書的には「渡る」は主として流れを横切る。「度る」は過ぎてゆく。「唐詩選」には詩題では「度る」、詩文では「渡る」となっており、本会ではこれを採用した。

参考

   ①賈島といえば「推敲(すいこう)」の故事

 「賈島挙に赴きて京に至り、驢(ろ)に乗りて詩を賦し、『僧は推す月下の門』の句を得たり。推を改めて敲と作(な)さんと欲す。手を引きて推敲の勢いを作すも、未だ決せず。覚えず大尹韓愈に衝たる。乃ち具に言ふ。愈曰く『敲の字佳し』と。遂に轡(くつわ)を並べて詩を論ず」(唐詩記事)

〔解説〕(科挙に備えての漢詩創作の中で)詩語を「推(おす)」にするか「敲(たたく)」にするか悩んでいたところ、当時の長安長官で大詩人韓愈に驢馬で衝突し、これ幸いと迷いを尋ねたところ、長官から「敲」が良いと言われて意気投合したという話

   ②松尾芭蕉も「唐詩選」の愛読者であった

 芭蕉が12年間暮らしていた江戸を、40歳ころ故郷の伊賀に向かって離れることがあった。その時の句に
  秋千とせ 却って江戸を 指す故郷 「野ざらし紀行」
というのがある。賈島の詩と同趣である。

詩の形

 仄起こり七言絶句の形であって、下平声七陽(よう)韻の霜、陽、郷の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

賈 島 779~843

  中唐の詩人・役人

 河北省范陽(北京)の人。字は閬仙(ろうせん)または浪仙。家貧しくて出家して僧侶となり、無本の名を与えられ長安の青竜寺にいた。のち韓愈に詩才を認められ還俗(げんぞく)して進士の試験を受けたが度々失敗した。及第後四川省長江県の主簿(文書や簿籍を扱う役)となり、ついで普州(四川省)府の司倉参軍(長官の補佐官)に任命されたが赴任せず死去。推敲の逸話は有名である。また除夜にその年内の作詩を集めて香を焚き酒を供えて祀ったという。享年64。