漢詩紹介

読み方

  •  出塞行  <王昌齢>
  • 白草原頭 京師を望めば
  • 黄河水流れて 尽くる時無し
  • 秋天曠野 行人絶ゆ
  • 馬首東来 知んぬ是誰ぞ
  •  しゅっさいこう  <おうしょうれい>
  • はくそうげんとう けいしをのぞめば
  • こうがみずながれて つくるときなし
  • しゅうてんこうや こうじんたゆ
  • ばしゅとうらい しんぬこれたれぞ

詩の意味

 白草の生い茂る高原にたたずみ、都の方を望めば、都は遥かに遠く見えず、ただ黄河の水は滔々と西より東に流れ、尽きることがない。

 秋の空も淋しく、塞外の広野を往来する人影も絶えたが、折しもただ一人馬首を東へ向け都の方へ向かう旅人がある。あれはいったい誰であろうか(私も都へ帰りたいものである)。

語句の意味

  • 出塞行
    楽府題 辺塞守備の兵士の辛苦を述べたもの 「行」は歌
  • 白草原
    新彊省羌(きょう)県地方の高原とするも所在は不明 白草(一つにやまかがみ)が一面に生えている原野
  • 京 師
    都 長安
  • 馬首東来
    馬のたてがみを東すなわち都へ向けていく 「来」は方角に付く助辞で調子を添える

鑑賞

  まさに辺塞詩の中の辺塞詩

 代表的辺塞詩である。もう何年も都を遠く離れて国境警備に当たる兵士の望郷の思いを作者が代弁して詠っている。場所は定かでないが、青海省の青海湖の南あたりか、もう少し黄河の上流の新彊省内の重要地点か。いずれにしても都から500キロ以上離れた砂漠地帯である。

 この詩は結句が重要。旅姿の人が馬に乗って東の都に向かって進むのが久しぶりに目についた。数日もすれば彼は長安の町中にいるはずだ。何年も故郷に帰れない兵士たちの羨ましさが手に取るようにわかる。背景が広大で無人の僻地であるので、一層兵士たちのせつなさが鮮明に表出される。

 また起句の「白草」と承句の「黄河」は「白」と「黄」という色彩を示す対語を用いている。その詩的効果も考えてみるのもよい。

漢詩の小知識

  辺塞詩とは

 中国北方の国境地帯での戦争を主題とする詩。具体的には当地での兵士たちの苦しみや悲しみを詠ったものや、故郷に残された家族(特に妻)への思い、あるいは家族からの情を詠んだものも含む。

 辺塞詩人としては王翰、王之渙、王昌齢、高適、岑参らの名があげられる。盛唐時代特有の詩体である。

備考

 この詩は唐詩を集めた詩集「三体詩」には起句が「百華原頭……」、結句の「東来」が「西来」となっていて、作者も唐の李頎(りき)の作で題名も「旅望」とある。本会は「唐詩選」の表記を採用した。またこの詩は楽府題である。

参考

  「三体詩」について

 6巻ある。南宋の周弼(しゅうひつ)が唐代の詩人167人の近体詩を七言絶句・七言律詩・五言律詩の三体に分けて編集したもの。中国では「唐詩選」より評価が高いといわれる。なお「唐詩選」「三体詩」「唐詩三百首」が唐詩を学ぶ三大書物である。

詩の形

 仄起こり七言絶句の形のようであるが起句・承句は平仄を合わせていないので拗体である。上平声四支(し)韻の師、時、誰の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

王昌齢  698~755

  盛唐の政治家・詩人

 字は少伯(しょうはく)。京兆(けいちょう=西安)の人。一説には江寧(こうねい=江蘇省南京)の人ともいう。29歳で進士となる。校書郎(図書校閲官)から氾水(はんすい=河南省)の尉(県の次官)となるも素行おさまらず、官界の評判は悪く各地に転任される。七言絶句の名手で、特に宮怨(きゅうえん)の詩(宮女の嘆きを歌った詩)は李白も及ばないといわれる。李白、孟浩然、高適らと交遊があった。安禄山の乱で郷里に帰った折、刺史(しし=州の地方長官)の閭丘暁(ろきゅうぎょう)に殺された。「王昌齢集」5巻がある。享年57。