漢詩紹介

読み方
- 竹里館 <王 維>
- 独り坐す 幽篁の裏
- 琴を弾き 復長嘯
- 深林 人知らず
- 名月 来って 相照らす
- ちくりかん <おうい>
- ひとりざす ゆうこうのうち
- ことをひき またちょうしょう
- しんりん ひとしらず
- めいげつ きたって あいてらす
詩の意味
私はただ独り、奥深く静かな竹藪の中の館に坐り、琴を弾いたり詩歌を長吟したりして過ごしている。
奥深い林のことだからこの私の楽しみを誰も知らないであろう。ただ名月だけが、この林の奥まで光をさし込んで私を照らしてくれる。
語句の意味
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- 竹里館
- 王維の別荘輞川荘(もうせんそう)の中の名所の1つ 長安の西南に在る
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- 幽 篁
- 奥深く静かな竹藪
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- 長 嘯
- 口をすぼめて長く引いて詩を歌う
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- 相 照
- 竹里館の私を照らす
鑑賞
王維の人生観はこの詩に尽きる
この詩は作者晩年に、輞川荘で友人裴迪(はいてき)とともに隠棲したころの作である。竹里館は広大な輞川荘の一角にある館である。「幽篁」・「深林」・「竹里館」は同一の場所と考えてよい。ここに作者は離俗の心を持って訪れるのである。まこと俗塵をさっぱりと洗い流した、作者の求めてやまない清浄な世界がそこに在る。この脱俗の趣きを詠んだ李白の「山中門答」(余に問う何の意有ってか碧山に棲むと 笑って答えず心自ずから閑なり……)も有名であるが、ただ2人の人生観は同じではない。いずれにしてもこのように絶対境地に浸るのが文人の理想であったのかもしれない。王維の人生観はこの詩に凝縮されているといわれる。宋の蘇軾は王維の芸術を評して「摩詰(王維の字)の詩を味わえば、詩中に画あり、画中に詩あり」という。情と景、静と動、明と暗の対照が見事で、そこに表出された林中の幽趣は一幅の絵画として味わうことができる。
備考
輞川荘 広大な王維の別荘
陝西省藍田県(らんでんけん)西南20里の藍田山の麓にある。初唐の宮廷詩人宋之問の別荘であったものを王維が購入して生活の安息と経済的目的を図った。20里に及んで、その中には田野あり、小川や小山を持ち森林や牧場もある広大さである。それらはみごとな景観を呈し、まさに桃源郷そのものであった。とりわけ有名な名勝は「鹿柴」「竹里館」「欒家瀬(らんかせ)」「辛夷塢(しんいう)」である。
参考
この詩に対し裴迪が唱和した絶句
来過竹里館 来たり過ぐ竹里館
日与ㇾ道相親 日と道と相親しむ
出入惟山鳥 出入するは惟山鳥のみ
幽深無二世人一 幽深くして世人無し
詩の形
仄起こり五言絶句のようであるが、漢詩の規則に外れているので古詩である。去声十八嘯(しょう)韻の嘯・照の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
王 維 701~761
盛唐の政治家・詩人。
字は摩詰(まきつ)。山西省太原(たいげん)の人。開元9年(22歳)の進士。弟縉(しん)とともに幼少より俊才。55歳の時、安禄山の乱に遭遇し、賊にとらえられ偽官の罪を得たがのち赦される。59歳で官は尚書右丞に至る。晩年はこれまでの役人生活に疑問を抱き、輞川に隠棲し、詩・書・画・楽に専念する生活を送った。兄弟ともに仏門に帰依(きえ)する。また画の名手として南宗画(=なんしゅうが 水墨を以って描く文人画)の祖となる。仏道に深い信仰心をもった詩人であるから後世「詩仏」と称えられている。享年61。