漢詩紹介

読み方

  •  江楼にて感を書す <趙嘏>
  • 独り江楼に上れば 思い渺然たり
  • 月光水の如く 水 天に連なる
  • 同に来って月を翫びし 人は何処ぞ
  • 風景依稀として 去年に似たり
  •  こうろうにてかんをしょす <ちょうか>
  • ひとりこうろうにのぼれば おもいびょうぜんたり
  • げっこうみずのごとく みず てんにつらなる
  • ともにきたってつきをもてあそびし ひとはいずこぞ
  • ふうけいいきとして きょねんににたり

詩の意味

 ただ一人、川のほとりの高楼に登れば、思い出は果てしなく蘇ってくる。月光は水のように清く澄みわたり、川の水も空に連なって流れている。
 思えば去年ともに来て、この月を愛でた人は、今どこにいるのであろうか(もうこの世にはいないのだ)。ただ風景だけは去年とそっくりで、少しもかわっていないのに。

語句の意味

  • 江 楼
    川辺の高殿
  • 渺 然
    はるかなさま かすかに遠いさま
  •  翫 
    なぐさめ楽しむ
  • 依 稀
    よく似ているさま

鑑賞

  漢詩には珍しい女性を恋うる歌

 わかり易い素朴な詩である。自然の風景は常に変わらないが、人の世はいつまでも同じであるとは限らないという詩趣は頻出の構図であるから、今さら新鮮味はない。ただ月をともに愛でたという人が作者の恋い慕う特定の女性なら話は別である。なぜなら中国詩には正面から女性を恋い慕う詩は極めて珍しいから。「唐詩紀事」によると「作者が浙西(せっさい)にいたとき、愛妾(あいしょう)がいたが、彼が都長安に上って科挙試験を受けている間に、節度使将軍に奪われた。これを聞いた趙嘏は一首の詩を作って悲しんだ。将軍もそれを見て哀れに思い、女を長安に送り届けた。たまたま二人が横水駅(河南省)で出会い、二人は抱き合って痛哭した。しかし二晩ののち女は死んでしまった。嘏は終身その女を思慕してやまなかったという」とある。もしそうなら単純にはかない詩であるというだけでは終われない。美しかったであろう女性との突然の死別による作者の深い悲しみを行間から読み取ろう。
 起句の「独り上る」と転句の「同に来る」は効果的な隔句対となっており、作者の孤独感が静かに伝わる。

参考

  節度使とは

 唐~五代十国時代にかけて、異民族の侵入を防ぐため国境地帯に置かれた軍の司令長官。「節度」とは指揮命令すること。玄宗の時代には北部の国境地帯の要地に10の節度使が配置された。彼らはその管内の軍事・民生・財政の三権を掌握していたので、王のような強大な権力を保持するものも現れた。かの安禄山もそのうちの一人である。その後、内地の主要地にも置かれ、その数は増した。強大な力を保持できるので、中には朝廷から離れ独立国の様相を呈する者まで現れた。しかも互いに抗争したのでますます軍事力は強まり、これが唐王朝の滅亡の一因ともなった。

詩の形

 仄起こり七言絶句の形であって、下平声一先(せん)韻の然、天、年の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

趙嘏  810?(815?)~856?

  晩唐の詩人・役人

 山陽(江蘇省)の人。会昌4年(844=34歳?)の進士。大中年間(847~860)に渭南(いなん=陝西省)の尉(い=刑獄をつかさどる役人)に任ぜられた。かつて七言絶句「長安晩秋」を作り、「残星幾点雁塞を横切る 長笛一声人楼に倚る」の句を杜牧から激賞を受けたこともあって、当時の名士たちは趙嘏の詩名を評価したが、官は低く思うように昇進しないまま没したらしい。しかし詩人としての名は高まった。著書に「渭南集」「編年詩」がある。享年46?