漢詩紹介

CD②収録 吟者:小坂永舟
2015年 4月掲載

読み方

  •  絶句(二) <杜甫>
  • 江 碧にして 鳥愈白く
  • 山 青くして 花然えんと欲す
  • 今春 看 又過ぐ
  • 何れの日か 是 帰年ならん
  •  ぜっく(に) <とほ>
  • こう みどりにして とりいよいよしろく
  • やま あおくして はなもえんとほっす
  • こんしゅん みすみす またすぐ
  • いずれのひか これ きねんならん

詩の意味

 錦江の水は深緑に澄みわたり、その上に浮かぶ鳥はひときわ白い。山の木は緑に映え、花は燃えんばかりに真っ赤である。
 今年の春もみるみるうちに過ぎていこうとしている。いったい、いつになったら故郷に帰られる時がやってくるのであろうか。

語句の意味

  •  江 
    長江の支流錦江 成都の町を流れる
  •  碧 
    碧玉(エメラルド)色 ふかみどり
  •  然 
    燃に同じ
  •  看 
    見ているまに 時間や状態の速やかに経過するのを形容する言葉
  • 帰 年
    故郷の家に帰る時期

鑑賞

  ついに実らぬ帰郷の思い

 杜甫の「絶句」と題する詩はいくつかあるが、まず取り上げられるのはこの詩である。この詩は作者が四川省成都の浣花渓(かんかけい)に暮らしていた53歳の晩春に、往く春を惜しみ、帰郷のままならぬ思いを詠じたものである。2首連作の第2首。起句と承句は対句になっている。前半2句は碧、白、青、赤と色彩豊かで明るく美しい蜀地方の自然を描いているが、後半は故郷に帰りたいと思いながら叶わず、空しい年月を費やした悲しみがにじみ出て暗い。しかしその対照がかえって作者の思いを高めている。その後杜甫一家は帰郷できず、1艘の小舟で、暮らしの糧を求めて長江を下る旅を続けたことを思えば、望郷の念はいかばかりかと思わずにはいられない。

備考

  浣花渓の暮らし

 杜甫が蜀地方に来たのは安禄山の乱を逃れた760年ごろであり、運よく役人時代の知人・厳武が剣南地方の節度使をしていたので招かれ、工部員外郎の職まで与えられ、浣花渓に草堂を建てたのである。それ以来の4年間は比較的平穏な生活であった。 田畑を借り、野菜、茶、薬草、果物などを栽培し、酒も飲める余裕もでき、農家とも往来するという風であった。ところが頼りの厳武が急逝し、蜀地方に騒動が起きたため、やむなくこの地を離れていくのである。故郷の長安からは安禄山の乱が収束したという知らせもなく、生活の糧も得られないという不安から、わずかな頼りとする旧知人を当てにして、長江を下るのである。

漢詩の小知識

  「李絶」「杜律」について

 李白と杜甫は中国二大詩人であるが、性格も作風も対照的である。李白は絶句に、杜甫は律詩に傑作が多いのでこのことばがある。

詩の形

 仄起こり五言絶句の形であって、下平声一先(せん)韻の然、年の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

杜 甫  712~770

  盛唐の役人・詩人

 李白と並び称され、中国詩史上偉大な詩人である。字は子美、号は少陵(しょうりょう)。洛陽に近い鞏県(きょうけん)に生まれた。代々地方官を務めた家系で田舎の豪族であった。7歳から詩を作る。科挙の試験に及第しなかったため、よい役職に就けず、各地を放浪し、生活は窮乏を極めた。安禄山の乱に捕らえられるがのち脱出。湖南省潭州(たんしゅう)から岳州に向かう船の中で没す。享年59。律詩に巧みで名作が多い。その誠実な人柄から「詩聖」と称せられる。