漢詩紹介

読み方

  •  独り敬亭山に坐す <李白>
  • 衆鳥 高く飛んで尽き
  • 孤雲 独り去って閑なり
  • 相看て 両ながら厭わざるは
  • 只 敬亭山 有るのみ
  •  ひとりけいていざんにざす <りはく>
  • しゅうちょう たかくとんでつき
  • こうん ひとりさってかんなり
  • あいみて ふたつながらいとわざるは
  • ただ けいていざん あるのみ

詩の意味

 たくさんの鳥は空高く飛んで、いなくなってしまい、ひとひらの雲も流れ去って、後はひっそりと静かになった。
 お互いが見つめ合い、ともに見飽きることがないのは、ただ悠然とした敬亭山だけだ。

語句の意味

  • 敬亭山
    安徽省宣城県(あんきしょうせんじょうけん)の北にある山の名 町のすぐ郊外にある 東は宛渓(えんけい)に臨み南は城内を見おろす景勝の地 斉(せい)の謝朓(しゃちょう)が宣城県の大守だった時しばしば訪れたという 昭亭山ともいう
  • 相 看
    お互いに見つめ合い
  • 両不厭
    「両」は敬亭山と李白 ともに飽きることなく

鑑賞

  李白は人間嫌いではない、俗人を好まないのである

 この詩は754年、作者が54歳の時、長安を追われて後、10年経過したころの作というのが有力である。鳥や雲は俗世間に暮らす人々のたとえか。玄宗の元で宮廷詩人となった天才詩人かと思うと、泥酔のあげく酒家に眠るなど豪放磊落(ごうほうらいらく)な人物であるが、半面、世俗を離れた山中で独自の境を楽しむ詩も多い。通常は無情の山も、こちらの対応により有情の山となり、心を慰めてくれる存在になっていくというところを味わいたい。ただ吉川幸次郎氏が「新唐詩選」で言うように「李白は時々人間にそっぽを向けているように見える。しかしそれは俗人にそっぽを向けているのである。まったく世の中に背を向けきって、自分一人の小さな世界を楽しむという風な隠遁(いんとん)者ではない」という鑑賞態度も知っておきたい。本会採用の「山中間答」「山中幽人と対酌す」なども同様で、李白は俗人を好まないのである。
 多くの解説書に「古来世塵を避けて独り静かに自然を愛する時、陶淵明の詩が心に浮かぶのは中国詩人の常である。淵明の詩の中に『孤雲独り依るべ無し』『衆鳥相与に飛ぶ』『庵を結んで人境に在り而も車馬の喧しき無し』などがあって、李白も強い影響を受けている」とある。傾聴に値する。

備考

  李白が敬愛する斉の謝朓を偲ぶ詩

 南北朝時代の斉の謝朓なる人物が宣城の大守となった時、しばしば敬亭山を訪れたと伝えられる。李白は敬愛する彼の面影をしのびながら、この山を眺めて詠ったのであろう。李白は謝朓に関しての詩を多く残していて、そのうちの五言詩に
   「我敬亭の下に家し    輒(すなわ)ち謝公(しゃこう)の作に継ぐ
    相去ること数百年    風期宛(さなが)ら昨(きのう)の如し」
と敬慕している。

詩の形

 仄起こり五言絶句の形であって、上平声十五刪(さん)韻の閑、山の字が使われている。第一句と第二句は対句になっており、第三句は下三連になっている。

結句 転句 承句 起句

作者

李白  701~762

  盛唐時代の詩人

 四川省の青蓮郷の人といわれるが出生には謎が多い。若いころ任侠の徒と交わったり、隠者のように山に籠ったりの暮らしを送っていた。25歳ごろ故国を離れ漂泊しながら42歳で長安に赴いた。天才的詩才が玄宗皇帝にも知られ、2年間は帝の側近にあったが、豪放な性格から追放され、再び漂泊した。安禄山の乱後では反朝廷側に立ったため囚われ流罪となったが、のち赦され、長江を下る旅の途上で亡くなったといわれている。あまりの自由奔放・変幻自在の性格や詩風のためか、世の人は「詩仙」と称えている。酒と月を愛した。享年62。