漢詩紹介
吟者:松野 春秀
2009年7月掲載
読み方
- 赤壁<袁枚>
- 一面の東風 百萬の軍
- 當年此の處 三分を定む
- 漢家の火德 終に賊を焼き
- 池上の蛟龍 竟に雲を得たり
- 江水自ずから流れて 秋渺渺
- 漁燈猶照らす 荻紛紛
- 我來って簫を吹くの 客と共にせず
- 烏鵲寒聲 靜夜に聞く
- せきへき<えんばい>
- いちめんのとうふう ひゃくまんのぐん
- とうねんこのところ さんぶんをさだむ
- かんかのかとく ついにぞくをやき
- ちじょうのこうりゅう ついにくもをえたり
- こうすいおのずからながれて あきびょうびょう
- ぎょとうなおてらす てきふんぷん
- われきたってしょうをふくの かくとともにせず
- うじゃくかんせい せいやにきく
字解
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- 赤 壁
- 湖北省の名勝地 中国の三国時代呉(ご)の孫権(そんけん)と蜀(しょく)の劉備(りゅうび)の連合軍が魏(ぎ)の曹操(そうそう)と戦い これを破った古戦場
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- 一面東風
- 赤壁の戦いは東風の助けをかりて勝利を得た ここでは一帯に吹く天佑神助(てんゆうしんじょ)の風(火攻めの計を容易にした)
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- 定三分
- 天下を魏、呉、蜀(漢)で三分して治める計が定まった
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- 漢家火德
- 蜀(漢)は五行(ごぎょう)(木=もく・火=か・土=ど・金=ごん・水=すい)からいって火の徳を以て王となることになっていた蜀が魏を破るに火攻めの計を用いたことに引用した表現である
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- 池上蛟龍
- 劉備をさす 蛟龍とはまだ龍にならない龍のこと みずちともいう
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- 荻
- おぎ 葦の類(この荻を火攻めの材料とした)
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- 吹簫客
- 蘇東坡はここで簫を吹く客と共に遊んだことをさす
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- 烏 鵲
- かささぎ
意解
呉と蜀の連合軍は戦場一帯を吹きまく風を天の佑け、神の助けとして、これに乗じて魏軍百万の軍勢を撃破し、天下を魏・呉・蜀に三分して治める計が確定した。
蜀漢の火德が、魏の曹操の軍を焼きつくし、池上の蛟龍といわれた劉備が遂に雲を得て大勝利を遂げたのである。
ここに来てみれば揚子江の水は、その当時のままに流れており、江上の秋の景色は、はるかに広く連なっているのである。また漁舟のともしびは岸辺に茂る荻を照らしている。
自分のこのたびの舟遊びには、かつて蘇東坡がしたように簫を吹く人を連れては来なかったけれど、かささぎのさむざむと鳴く声を静かな夜に聞くと、往時が偲ばれてまことに感慨にたえない。
備考
宋の蘇東坡は黄州に流謫(るたく)されていた時に、赤壁をたずね前後赤壁賦を詠じている。その蘇東坡の雅遊を追悼する意をこめて作った。
この詩の構造は仄起こり七言律詩の形であって、上平声十二文(ぶん)韻の軍、分、雲、紛、聞の字が使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
袁 枚 1716-1797
中国清時代の詩人。字を子才、簡齋・隨園と号す。淅江省銭塘県の人。乾隆(けんりゅう)4年24歳で進士、同13年33歳の時、父の死を機に官職をやめ、南京の西小倉山(せいしょうそうざん)に邸を築き、隨園と称え悠々詩書を友とする。「隨園詩話」・「隨園三十種」などの著書がある。嘉慶2年没す。年82。