漢詩紹介
CD①収録 吟者:池田菖黎
2014年10月掲載
読み方
- 姪孫湘に示す<韓 愈>
- 一封朝に奏す 九重の天
- 夕べに潮州に貶せらる 路八千
- 聖明の爲に 弊事を除かんと欲す
- 肯て衰朽を將て 殘年を惜しまんや
- 雲は秦嶺に横たわり 家何くにか在る
- 雪は藍關を擁して 馬前まず
- 知る汝が遠く來る 應に意有るべし
- 好し我が骨を収めよ 瘴江の邊
- てっそんしょうにしめす<かん ゆ>
- いつぷうあしたにそうす きゅうちょうのてん
- ゆうべにちょうしゅうにへんせらる みちはっせん
- せいめいのために へいじをのぞかんとほっす
- あえてすいきゅをもって ざんねんをおしまんや
- くもはしんれいによこたわり いえいずくにかある
- ゆきはらんかんをようして うますすまず
- しるなんじがとおくきたる まさにいあるべし
- よしわがほねをおさめよ しょうこうのほとり
字解
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- 姪孫
- 兄弟の孫 名前は湘
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- 一封
- 仏骨を迎えるのを諌(いさ)める奏上文
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- 九重天
- 天子の住む宮殿
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- 貶潮州
- 広東省潮州府潮陽県に左遷されること
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- 聖明
- 徳高く賢い天子 ここでは憲宗皇帝
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- 弊事
- 害あること ここでは仏骨を迎えることを指す
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- 衰朽
- おとろえくちる
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- 秦嶺
- 終南山を中心とする秦嶺山脈
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- 藍關
- 藍田の関(らんでんのせき) 首都長安から南東三十キロメートルほどのところにある関所
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- 瘴江
- 病気をおこすという蒸気の立つ川 「瘴」は華南の高温多湿によって生ずる風土病をいう
意解
一通の奏上文を朝のうちに天子に奉ったら、夕方には八千里もかなたの潮州に左遷される事になった。
それも徳の高い天子のために世の中の悪弊(あくへい)を除きたいとの思いであって、衰えはてた身で老い先短い年月を惜しもうとは思わないのである。
雲は秦嶺山脈にたなびき、故郷の我が家はどの方角にあるかわからない。雪は藍關をうずめつくして、馬も前に進まない。
お前がはるばる私を追って来たのはきっと何か心に期することがあってのことだろうと私にはよくわかる。願うことは、私が死んだらその骨を毒気立ちこめる大江のほとりで拾い収めてくれるのがよい。
備考
819年、憲宗に「仏骨を論ずる表」を奏上し、天子の激怒にふれ死罪になるところを罪一等を減ぜられ、潮州に左遷された。藍關まで来た時、あとを追って来た次兄韓介の孫の湘に自分の感情や信念を述べた詩である。本題は「左遷至藍關示姪孫湘」(左遷されて藍關に至り姪孫湘に示す)とあるが、本会では「示姪孫湘」と簡略にした。
この詩の構造は、平起こり七言律詩の形であって、下平声一先(せん)韻の天、千、年、前、邊の字が使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
韓愈 768-824
中唐の詩人。字は退之(たいし)、河南省修武県の人。三歳で父を失い、十四歳で兄を失ったが好学心に富み、二十五歳で進士に及第した。三十五歳で四門博士に任ぜられる。吏部侍郎(りぶじろう)を以っておわる。性格は剛直であったが門下をよく指導し俊秀を出した。唐宋八大家(A46-2参照)の筆頭に数えられる。長慶四年没す。歳56。