漢詩紹介

読み方
- 柳州の城樓に登る<柳宗元>
- 城上の高樓 大荒に接す
- 海天の愁思 正に茫茫
- 驚風亂れ颭かす 芙蓉の水
- 密雨斜めに侵す 薜茘の牆
- 嶺樹重なって 千里の目を遮り
- 江流曲って 九廻の腸に似たり
- 共に來る百粤 文身の地
- 猶自ずから音書 一鄕に滯る
- りゅうしゅうのじょうろうにのぼる<りゅうそうげん>
- じょうじょうのこうろう たいこうにせっす
- かいてんのしゅうし まさにぼうぼう
- きょうふうみだれうごかす ふようのみず
- みつうななめにおかす へいれいのかき
- れいじゅかさなって せんりのめをさえぎり
- こうりゅうまがって きゅうかいのちょうににたり
- ともにきたるひゃくえつ ぶんしんのち
- なおおのずからいんしょ いっきょうにとどこおる
字解
-
- 柳 州
- 現在の広西壮族自治区柳州市
-
- 大 荒
- 大地のはて 日月の没するところ
-
- 茫 茫
- はてしなくひろびろとしている
-
- 芙蓉水
- 蓮の花の咲いている池の水
-
- 密 雨
- すき間なく降りこめる雨
-
- 薜茘牆
- つる草やまさきのかずらの這(は)っている垣
-
- 百 粤
- 浙江南部から福建 広東 広西の多くの未開地域
-
- 文 身
- 入れ墨
意解
城壁の高殿に登って四方を見渡すと、この極遠の地の空のもとで、海も空も私の悲しい思いも果てしなく広がってゆく。
折から吹く風は、蓮の花の咲いている池の水を波立たせ、すき間なく降りこめる雨あしは、まさきのかずらの這う垣根にななめにたたきつけている。
峰の木々は重なりあって、千里の彼方を望む私の目をさえぎり、川の流れは曲がりまがって、悲しみのあまり幾回にもよじれる腸のようである。
われわれ五人は、ともに入れ墨した蛮族の住む越の国に来て、交(かわ)したい手紙まで通ずることが出来ず、その地にとどこおっていることは悲しいことである。
備考
この詩は「登柳州城樓寄<サンズイに章>・汀・封・連四州刺史」と題するが、本会では「登柳州城樓」と簡略にした。815年、憲宗によって柳州に左遷された柳宗元は柳州の城樓にのぼり、同時に左遷された韓泰(かんたい=<サンズイに章>州)・韓曄(かんよう=汀州)・陳謙(ちんけん=封州=ほうしゅう)・劉禹錫(連=れん=州)の四人の長官に寄せてこの詩を作る。「唐詩選」「唐詩三百首」に所収されている。
詩の構造は仄起こり七言律詩の形であって、下平声七陽(よう)韻の荒、茫、牆、腸、鄕の字が使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
---|---|---|---|
作者略伝
柳宗元 773-819
中唐の文書家、詩人。字は子厚(しこう)。河東(山西省永済県)の出身。少年の頃より秀才の誉れ高く21歳で進士に合格する。唐宋八大家の一人。諸官を経て柳州の刺史で終り同地に歿す。唐宋八大家とは唐宋二代の八人の大文学者をいう。韓愈(かんゆ)、柳宗元(りゅうそうげん)(以上、唐)。歐陽修(おうようしゅう)、蘇洵(そじゅん)、蘇軾(そしょく)、蘇轍(そてつ)、曽鞏(そうきょう)、王安石(おうあんせき)(以上、宋)。