漢詩紹介

読み方
- 虞美人艸(2-1)<曾鞏>
- 鴻門の玉斗 紛として雪の如し
- 十萬の降兵 夜血を流す
- 咸陽宮殿 三月紅なり
- 覇業已に 煙燼に隨って滅す
- 剛強なるは必ず死し 仁義なるは王たり
- 陰陵に道を失せしは 天の亡ぼすに非ず
- 英雄本學ぶ 萬人の敵
- 何ぞ用いん屑屑として 紅粧を悲しむを
- ぐびじんそう<そうきょう>
- こうもんのぎょくと ふんとしてゆきのごとし
- じゅうまんのこうへい よるちをながす
- かんようきゅうでん さんげつくれないなり
- はぎょうすでに えんじんにしたがってめっす
- ごうきょうなるはかならずしし じんぎなるはおうたり
- いんりょうにみちをしっせしは てんのほろぼすにあらず
- えいゆうもとまなぶ ばんじんのてき
- なんぞもちいんせつせつとして こうしょうをかなしむを
字解
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- 虞美人艸
- 日本名はひなげし
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- 鴻 門
- 陝西省臨潼県にある地名 劉邦(漢の高祖)と楚の項羽が会見したところ
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- 玉 斗
- 劉邦から張良を通じ楚の参謀范増に贈られた玉の酒器
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- 咸 陽
- 秦の都 今の陝西省西安の北西渭水の北岸
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- 覇 業
- 武力で天下を征服統一する
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- 陰 陵
- 安徽省定遠県西北にある地名 漢軍の追撃を受けて逃れた項羽が土地の農夫に欺かれ道に迷ったところ
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- 屑 屑
- くよくよする
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- 紅 粧
- 美人 ここでは虞美人
意解
鴻門の会で劉邦を取り逃がした范増は、帳良の献じた玉斗を雪の散るようにこなごなに砕いた。また項羽は一夜のうちに十万もの秦の降兵を皆殺しにした。
更に咸陽の宮殿に火を放ち3カ月もの間燃え続け、項羽は天下の信望を失い、天下統一の野望も煙燼と共に消え去った。
古来剛強な者は必ず亡び、仁義を知る者は常に慕われ王者となるという。項羽が陰陵で道に迷い遂に身を亡ぼすに至ったのは、天が彼を亡ぼしたのではなく身から出たさびである。
項羽はもともと万人を相手とする兵法を学んだのに、何故垓下において「虞や虞や若(なんじ)を如何せん」と美人との別れをくよくよ悲しんだのか。
備考
この詩は儒教思想の立場から、楚の項羽を批判しその最期を哀れむと共に、これに殉じた虞美人に同情をよせて作られたものである。
詩の構造は七言古詩の形であって、四句一解で五解から成り、解ごとに換韻している。
第一解 入声九屑(せつ)韻の雪、血、滅
第二解 下平声七陽(よう)韻の王、亡、粧
第三解 上声十九皓(こう)韻の倒、老、艸
第四解 上平声四支(し)韻の枝、眉、時
第五解 上声七麌(ぐ)韻の古、土、舞
の字が使われている。
作者略伝
曾 鞏 1019-1083
北宋の文章家、政治家。字は子固(しこ)。江西省南豊の人。歐陽修、王安石も曾鞏と同じく江西省の出身で、曾鞏は王安石と親しく、王安石を歐陽修に推薦したのは曾鞏である。散文の大家として著名で歐陽修、王安石と共に唐宋八大家に数えられている。1057年の進士で晩年に至って中書舎人となったが、わずか1年で没した。年65。
参考
虞美人艸とひなげし
項羽の歌に和して自殺した虞美人の墓上の草(ひなげし)を、後人があわれんで虞美人草と呼んだ。虞美人の精血が化して草花となったといわれる。「夢渓筆談(ぼうけいひつだん)」という書に「虞美人草の前で人が呉音で虞美人曲を奏すると枝葉が動き他の曲では動かないというので試したらその通りになった」と述べている。