漢詩紹介

読み方

  • 春殘<李淸照>
  • 春殘何事ぞ 苦だ郷を思う
  • 病裏頭を梳って 髪の長きを恨む
  • 梁燕 語 多く 終日在り
  • 薔薇 風細やかにして 一簾香し
  • しゅんざん<りせいしょう>
  • しゅんざんなにごとぞ はなはだきょうをおもう
  • へいりこうべをくしけずって かみのながきをうらむ
  • りょうえん ご おおく しゅうじつあり
  • しょうび かぜこまやかにして いちれんかんばし

字解

  • 春 殘
    晩春
  • しきりに とても
  • 梁 燕
    梁上に巣をかけている燕(つばめ)
  • 語 多
    燕がしきりにさえずり交わしている

意解

 春も晩(く)れゆこうとしているいま、何故かとても故郷が懐かしく思われます。病床、櫛で髪をすくと、あまりに長くて始末に困るのです。梁上の燕は終日しきりにさえずり交わし、庭の薔薇(ばら)がそよ風にのって簾(すだれ)ごしに匂(にお)ってくるのです。

備考

 この詩の構造は平起こり七言絶句の形であって、下平声七陽(よう)韻の郷、長、香の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者略伝

李淸照 1084?-?

 済南(さいなん=山東省済南市)の人。易安居士(いあんこじ)と号した。宋の建中靖国(けんちゅうせいこく)元年 (1101)18歳で趙明誠に嫁(とつ)いだ。夫は金石学(きんせきがく)の研究家で、その成果は「金石録」30巻にまとめられ、彼女も これを助けたといわれる。夫が建康の地で病没したあと、清照は各地を転々として不幸な晩年を過したらしく、没年も定かでないが70歳代の 前半頃まで存命であったようである。宋詞の中でも出色(しゅっしょく)の閨秀詞人(けいしゅうしじん)であり、「漱玉詞」1巻がある。夫 が亡くなった時「上則無父 中則無夫 下則無子」(うえはすなわちちちなく なかはすなわちおっとなく したはすなわちこなし)と悲嘆の 祭文(さいぶん)を撰した。