漢詩紹介

吟者:埜辺 旭洲
2005年3月掲載
読み方
- 九月十日<菅原道真>
- 去年の今夜 清涼に侍す
- 秋思の詩篇 独り断腸
- 恩賜の御衣 今此に在り
- 捧持して毎日 余香を拝す
- くがつとおか<すがわらのみちざね>
- きょねんのこんや せいりょうにじす
- しゅうしのしへん ひとりだんちょう
- おんしのぎょい いまここにあり
- ほうじしてまいにち よこうをはいす
詩の意味
去年の今夜、私は重陽(ちょうよう)の菊の節句の宴(うたげ)に招かれ、清涼殿で醍醐天皇のそば近くにお仕えしていた。その夜、帝(みかど)から戴いたお題「秋思」に対する私の一編は、昔と今のあまりにも大きな変化に堪えられず、悲しい思いをこめて詠んだものであった。
それにもかかわらずお褒めを戴き、その時に賜わった御衣が手もとに今こうして置かれている。私は、それを毎日おし戴いては、残り香を懐かしんでいる。
鑑賞
醍醐天皇に対する思い
この詩は、延喜元年(901)9月10日の夜、道真が九州太宰府(今の福岡県太宰府市)に流された時の作です。前年の菊花の宴に招かれて「秋思詩」を作り、今は藤原一族からねたまれて冤罪(えんざい=罪なきつみ)を蒙り、都を遠く離れていても帝の厚い恩徳に感動しているのです。
語句の意味
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- 九月十日
- 延喜元年(901)の9月10日
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- 去年今夜
- 昌泰3年(900)の9月10日
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- 清 涼
- 清涼殿 天皇が日常生活を送られる場所
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- 秋思詩篇
- 「秋思」の御題(ぎょだい) 「秋思詩」を指す
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- 断 腸
- 胸も張り裂けんばかりの悲しい思い
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- 恩 賜
- 天皇からいただいた
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- 余 香
- 御衣に焚きこめた香(こう)の移り香
備考
題名を「重陽後一日」(ちょうようごいちじつ)ともいう。「重陽」とは9月9日のことで、健康を祝い菊の節句ともいい、宮廷では菊花の宴が毎年催されていた。
詩の形
平起こり七言絶句の形であって、下平声七陽(よう)韻の涼、腸、香の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
菅原道真 845-903
平安初期の政治家・学者・漢詩人・歌人
学者の家系に育ったこともあって教養・人格ともに優れ、若くして政府の要職を経て55歳で右大臣についた。しかし異例の出世で藤原一族からねたまれ、それがもとで九州太宰府に流され、その地で亡くなった。59歳。死後、罪を許され、正二位まで復権した。世の人々はその高潔さを敬い、京都の「北野天満宮」をはじめ全国に天神様の名で社を設け、学問の神様として今なお慕い続けている。