漢詩紹介
吟者:中島菖豊
2011年1月掲載[吟法改定再録]
読み方
- 芳野に遊ぶ<菅茶山>
- 一目千株 花尽く開き
- 満前唯見る 白皚皚
- 近く人語を聞けども 処を知らず
- 声は香雲 団裏自り来る
- よしのにあそぶ<かんちゃざん>
- いちもくせんしゅ はなことごとくひらき
- まんぜんただみる はくがいがい
- ちかくじんごをきけども ところをしらず
- こえはこううん だんりよりきたる
詩の意味
ここ芳野に来てみれば、幾千株もの桜の花がすべて咲いていて、見渡す限りただ雪の降り敷いたように、一面白く見える。
どこからともなく近くで人の話し声が聞こえてくるが、それがどこだか一向に見当がつかない。声はただ芳しい花雲の群がった中から出てくるのである。
語句の意味
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- 芳 野
- 桜の名所 奈良県吉野郡の吉野山一帯 風雅に芳野とも書く
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- 皚 皚
- 雪などの白い形容 桜花を雪に見なしたので使った
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- 香 雲
- 芳しい雲 集団の桜花を形容している
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- 団 裏
- 固まりの中 そのあたり
鑑賞
桜見物で春を謳歌する芳野の人々
芳野には一目千本という言葉通り、幾千本のみごとな桜が織りなす絶景がある。華やいだ桜景色の大画面をみるようである。転句は当然王維の「鹿柴」詩中の「空山人を見ず 但人語の響きを聞くのみ」を引用していると思われる。こちらは、空山の静けさとは違い、賑やかな桜見物の光景を歌っている。楽しく明るく春を謳歌する人々の声が届きそうである。作者77歳の作とあるところから、備後神辺から久かたにこの地を訪れ、その華やかさや賑わいに大いに感動したのではなかろうか。
多くの芳野を歌う詩には、どこかで後醍醐天皇の追想とか南朝への哀惜が歌われているが、この詩にはそれがない。茶山がそれらに思いを致さぬはずはないが、この詩ではそれ以上に、美しい芳野の桜の見事さを感じたい。
漢詩の小知識
漢詩の句切れについて
作詩をする際、普通各句は五言なら〇〇+〇〇〇、七言なら〇〇+〇〇+〇〇〇または〇〇〇〇+〇〇〇というように語句を並べる。この方法は読みやすく詠いやすい。つまり詩にリズムが加わる。たいていの漢詩はこの形式を踏んでいる。この規則を知っておくと初めて目にする詩でも読む糸口が得られるので便利である。ただこの「芳野に遊ぶ」の結句は当てはまらない。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、上平声十灰(かい)韻の開、皚、来の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
菅 茶山 1748-1827
江戸時代中期から後期の学者・漢詩人
寛延元年、備後神辺(びんごかんなべ=広島県福山市)に生まれる。生家は裕福な農家で造酒業も営んでいた。名は晋帥(しんすい)、字は礼卿(れいきょう)、茶山はその号。京都に遊学し、のち郷里に塾を開き、生涯を子弟の教育に捧げた。その塾を「廉塾(れんじゅく)」といい、住居を「黄葉夕陽村舎(こうようせきようそんしゃ)」と名づけた。詩名高く子弟は多い。福山侯の援助もいただけるほど評価も高まり、頼山陽、梁川星巌夫妻、広瀬旭荘など著名人が訪れている。著書に「黄葉夕陽村舎詩」前後編その他多数ある。文政10年8月没す。享年80。