漢詩紹介

吟者:小坂永舟
2011年1月掲載[吟法改定再録]
読み方
- 松島 <頼 春水>
- 一碧 瑠璃 澹として 波たたず
- 平湾無数 青螺を点ず
- 月は明らかに 宛ら 龍燈の出ずるに似たり
- 光輝を分付して 夜色多し
- まつしま <らい しゅんすい>
- いっぺき るり たんとして なみたたず
- へいわんむすう せいらをてんず
- つきはあきらかに さながら りゅうとうのいずるににたり
- こうきをぶんぷして やしょくおおし
詩の意味
一面、紺碧色をした海面は宝石の瑠璃(るり)のように美しく、波もない。その平らな湾上には青色のほら貝のような小島が無数に点在している。
夜になって、月は明るく輝いて、まるで龍宮の神の捧げる燈火をともしたかのようで、その光は四方に分かれ、松島の夜景は一段と風情を添えるのである。
語句の意味
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- 松 島
- 宮城県宮城郡松島町の海岸一帯 日本三景の一つ
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- 一 碧
- 一面の青々とした海
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- 瑠 璃
- 紫がかった紺色の宝石 海水の形容
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- 澹
- 静かで平らか
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- 青 螺
- 青色のほら貝 松の生えた島を例える
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- 龍 燈
- 龍宮の燈火 海中の燐光が灯火のように連なって現れるもの
鑑賞
やはり松島の風情は月夜に限る
松島は風光明媚で、そのまま絵はがきにも名画にも値する美しさがある。しかしそれは明るい日差しの下での光景である。この詩は夜もまた月光の下で光る海も一段と風情があると歌っている。江戸時代の夜景は闇夜であって、島模様も人の目には朦朧(もうろう)としていて区別がつかないだろうと思うが、よほどの月光が注がれればこの詩のような夜景があるのかもしれない。
直喩(ちょくゆ)が3語ある。青い海を「瑠璃」、小島を「青螺(せいら)」、月明を「龍燈」とたとえている。特に珍しい比喩ではないが作者の苦吟の跡がうかがえる。ついでながら龍神の放つ伝説上の光とはどのようなものなのであろう。
参考
芭蕉が愛した松島
松尾芭蕉の「奥の細道」から松島の一節を紹介する。
「そもそも、ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖を恥ぢず。東南より海を入れて江のうち三里、浙江(せっこう)の潮をたたふ。島島の数を尽くして、欹(そばだ)つものは天を指さし、伏すものは波に匍匐(はらば)ふ。あるいは二重に重なり三重に畳みて、左にわかれ右につらなる。負へるあり抱けるあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉潮風に吹きたわめて、屈曲おのづから矯(た)めたるがごとし。その気色窅然(ようぜん)として美人の顔(かんばせ)を粧(よそお)ふ。(以下略)」
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、下平声五歌(か)韻の波、螺、多の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
頼 春水 1746~1816
江戸時代中期の儒者・漢詩人・安芸藩士
名は惟完(これよし)、字は千秋、通称は弥太郎。春水は号。安芸竹原(今の広島県竹原市)の豪商の家に生まれる。頼山陽の父。21歳で大坂に遊学し、まもなく新天満町に開塾し朱子学を講じた。35歳で広島藩儒となり活動し、幕府の教学統制(朱子学以外は認めない)に熱意を示した。かたわら国史編集に志したが差し止められ、その子山陽がその遺志を引き継いだ。著書に「春水遺稿」などある。文化13年2月没す。享年71。