漢詩紹介

CD②収録 吟者:稲田菖胤
2014年12月掲載

読み方

  • 海南行  <細川 頼之>
  • 人生五十 功無きを愧ず
  • 花木春過ぎて 夏已に中ばなり
  • 満室の蒼蠅 掃えども去り難し
  • 起って禅榻を尋ねて 清風に臥せん
  • かいなんこう <ほそかわ よりゆき>
  • じんせいごじゅう こうなきをはず
  • かぼくはるすぎて なつすでになかばなり
  • まんしつのそうよう はらえどもさりがたし
  • たってぜんとうをたずねて せいふうにがせん

詩の意味

 自分の人生もはや50となったが、何の功績もないのがまことに恥ずかしい。(それにひきかえ)歳月の移るのは早いもので、花咲く春も過ぎて、今はもう夏の半ばである。
 青ばえが部屋いっぱいに飛び回って、いくら追っても逃げ去らないように、小人どもの讒言(ざんげん)がうるさいから、こんな世の中は捨てて座禅の長椅子でも探し出して(禅門に入って)清らかな風の吹くところで余生を送りたいものだ。

語句の意味

  • 海南行
    「海南」は讃岐(香川県) 「行」は歌体の一種ともとれるがここでは赴(おもむ)く
  • 蒼 蠅
    青ばえ 讒言して作者を失脚させた足利家の家臣たち
  • 禅 榻
    座禅に用いる長椅子 俗世を離れた場所

鑑賞

淡々と人生を述懐する篤実(とくじつ)な室町幕僚

 全句を通じて作者の後半人生を誇張も虚飾もなく、ありのままに述べているところに、室町時代随一の武将であり幕僚とは思えない誠実さがあって好感が持てる。むしろ一・二句は平凡すぎるくらいの配字である。温厚といわれる人柄ゆえだろうか。ただ三句目で足利家臣を「青ばえ」と切って捨てたのにはいささか温厚さが欠けるようだが、積年の憤怒からほとばしり出た、やむを得ない表現と取りたい。
 そして結句では、さらりと俗世間を捨てて仏門に入っていく。その後ろ姿に、それが恨みからの逃避ではなく、天命であるかのような自然体を見る。室町幕府の確立に際し力を発揮し、将軍にも匹敵する大立役者であったことを思えば思うほど彼の有徳者のような偉大な人柄を感じる。「青ばえ」や「禅榻」の比喩するところをしっかりつかみたい。

備考

頼之はなぜ仏門に入ったのか

 足利尊氏が室町幕府を開いた30年後のことである。尊氏の長男・義詮(よしあきら)が二代目将軍を務めていたが、その臨終に及び、時の管領(かんれい=将軍を補佐し幕府を統括する役)は頼之を呼び寄せ、まだ11歳の義満(三代将軍)の教育を託した。義満にも「頼之を父と思うて教えに違うこと勿れ」と諭(さと)した。頼之は遺命通り身を挺して義満を補佐した。しかし年若い未熟な義満は頼之の誠意ある諫言(かんげん)を快く思わないことが重なり、加えて周囲の家臣たちが、義満と頼之の血縁以上の主従関係や武将としての抜群の才能を妬(ねた)んで、その離間策を企てる動きが出始めた。そのため頼之は遺命の達し難いことを悟り、1379年に管領を辞職すると同時に剃髪した。常久(じょうきゅう)と名を改め、京を去った。51歳であった。この詩はその時の作と思われる。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、上平声一東(とう)韻の功、中、風の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

細川頼之  1329~1392

 南北朝時代(室町時代)の政治家・武将・歌人

 元徳元年、三河(愛知県)に生まれる。名は頼之、通称弥九郎。頼春の子。性格は端正温厚であるが、知略に富み、読書を好み詩歌をよく嗜(たしな)んだ。足利尊氏に従い転戦し功を挙げた。義詮が没するに際し、義満の補導の任に当たる。義満が長ずるに及び、管領の職を辞め、仏門に入り、讃岐に移る。義満成人後、召還されて執事として国務に再び参与した。享年64。