漢詩紹介

吟者:鈴木 永山
2009年7月掲載
読み方
- 某楼に飲む <伊藤 博文>
- 豪気堂堂 大空に横たわる
- 日東誰か帝威をして 隆んならしめん
- 高楼傾け尽くす 三杯の酒
- 天下の英雄 眼中に在り
- ぼうろうにのむ <いとう はくぶん>
- ごうきどうどう たいくうによこたわる
- にっとうたれかていいをして さかんならしめん
- こうろうかたむけつくす さんばいのさけ
- てんかのえいゆう がんちゅうにあり
詩の意味
自分が胸に抱え持っている盛んな意気込みは厳しく雄大で(何人にも愧=は=じることなく)大空に満ち溢れている。わが日本帝国において自分以外に誰が天皇陛下の御威光を盛んならしめる者がいるであろうか。
今、この高楼に上って幾杯かの酒を傾けながら古今の英雄・豪傑をあれこれ物色してみるに、誰も彼も自分の眼中に入って、ものの数でもなく思えるのである。
語句の意味
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- 豪 気
- 盛んな意気込み
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- 堂 堂
- 厳しく立派なさま 雄大なさま
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- 日 東
- 日本
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- 帝 威
- 天皇の御威光
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- 三杯酒
- 幾杯かの酒
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- 在眼中
- 眼の中に入るくらい小さい
鑑賞
天下の英雄眼中に在りと豪語した大政治家
酔余とはいえ、まことに覇気に富んだ内容の詩である。大杯に注がれた酒とともに天下の英雄をも一呑みにしてしまうという豪快な言葉に圧倒される。ただこれほどの強烈な自己主張をしているにもかかわらず、あまり厭味(いやみ)がない。制作がいつのころか不明ながら、外交における成功に得意満面の趣きがあるので、明治28年、博文55歳で、日清戦争終結後、下関において清(しん)国全権大使李鴻章(りこうしょう)と談判して講和条約を結んだころではないかといわれている。
ただ、結句の「眼中に在り」には議論がある。通常「眼中に無し」というところを、「眼中に在り」と眼の中に入れても痛くないほど小さな存在としたところが異色である。
参考
伊藤博文は日本政界の幸運児
伊藤博文という人は、運の強い人であった。松下村塾で学んでいた頃は足軽であったから、侍の仲間に入れてもらったものの、木戸孝允や高杉晋作や久坂玄瑞などとは大きな身分の差があった。多くの志士が維新を見ること無く世を去ったので御大(おんたい)木戸孝允に従い、木戸の死後明治10年の西南の役が始まる頃には大久保利通の配下となった。大久保、横井小楠らは暗殺され、山県有朋は汚職で政界から去り、維新を生き抜いた最後の一人となり、明治18年には初代内閣総理大臣となり日本政府の要職を総なめにした英雄である。
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、上平声一東(とう)韻の空、隆、中の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
伊藤博文 1841~1909
明治時代の政治家・漢詩人
山口藩士。山口県熊毛郡に生まれた。旧姓は林、萩藩士伊藤家の養子となる。幼名は利助、のち俊輔(しゅんすけ)、さらに博文と称し、春畝(しゅんほ)と号した。松下村塾に学び尊王攘夷運動に参加。維新後欧米を視察、西郷、木戸、大久保等の重臣の死後は政府の中心人物となり、明治18年内閣制度を創設して初代首相兼宮内(くない)大臣となった。21年枢密院議長となり、翌年、明治憲法を制定した。38年初代韓国統監となり、43年韓国併合の推進のため満州巡遊の途中、ロシア大蔵大臣と会見する予定であったが、ハルピン駅頭にて安重根に暗殺された。享年69。