漢詩紹介

吟者:山口 華雋
2010年1月掲載

読み方

  •  偶感(其の一) <宮崎 東明>
  • 恩は報いを覓むること無くして
  •         自ら喜びと為し
  • 徳は名を求めずして 常に陰に在り
  • 日日忘るる勿れ 謙譲の事
  • 妄心去る可し 亦争心
  •  ぐうかん(そのいち) <みやざき とうめい>
  • おんはむくいをもとむることなくして
  •            みずからよろこびとなし
  • とくはなをもとめずして つねにかげにあり
  • にちにちわするるなかれ けんじょうのこと
  • もうしんさるべし またそうしん

詩の意味

 人は報いを目的として施すのではなく、人に施すことを自分の喜びと為すのである。徳は高名を求めずに、いつも陰に在るべきだと思う。

 その為に毎日謙譲の気持ちを忘れず、傍若無人な振る舞いや人と争うことなどを避ける、寛容な気持ちが大切である。

語句の意味

  •  恩
    めぐみ いつくしみ
  •  徳
    よい行いをする性格 身に着いた品性
  • 謙 譲
    へりくだりゆずること
  • 妄 心
    誤った分別心
  •  亦
    これもまた

鑑賞

  真の恩徳はこの語に尽きる

 聖人に近い表現で、思わず身が凛となる。真の恩徳はこの語に尽きる。「説苑」(ぜいえん=漢の劉向=りゅうきょう=の編。春秋時代から漢初までの伝記・逸話を集めた書)にも「陰徳有る者は必ず陽報あり」とあって、ひそかに恩徳を施したものには、本人が求めなくても自然に陽報があるといっている。その無償の恩徳を身につけるために日々謙譲の心を養わなくてはならない。妄心や競争心はもってのほかと戒めている。つまり功名や利益にとらわれず、虚心坦懐に行動し、人生意気に感じて生きたいものと教えられる詩となっている。

備考

この詩は「宮崎東明詩集」第三巻に「偶感其の二十」として掲載されているが、仮に其の一とした。

参考

  東明先生は謙譲の実践者

 「謙譲」とは、へりくだること、控え目にふるまうことであるが、さらに一歩踏み込んだ謙譲の美徳がある。「論語」に「……夫れ仁者は己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。……」とある。仁者は自分より先に他人をふさわしい地位につけてやるし、出世は人に譲るというのである。東明先生が尽力してこの関西吟詩同好会を創設なさったけれど、自身が会長に就かれて当然の立場なのに、初代会長には恩師、関西大学教授・藤澤黄坡先生を奉じられたのは、この謙譲の精神が生かされていたと思うと、改めて尊敬の念を覚える。

 ご夫婦仲がよく、昔気質なる明治生まれの両先生は、共に手を携えて両輪の如く、関西吟詩の礎を盤石に固められたといっても過言ではないだろう。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、下平声十二侵(しん)韻の陰、心の字が使われている。起句は踏み落とし。起句承句は対句になっている。

結句 転句 承句 起句

作者

宮崎東明 1889~1969

  明治・大正・昭和の医者・漢詩家

 明治22年3月河内の国四条村(現在の大東市)に生まれる。名は喜太郎、東明は号。京都府立医学専門学校を卒業、大阪市玉川町に医院を開く。医業の傍ら詩を藤澤黄坡(こうは)、書を臼田(うすだ)岳洲、画を中国人方洺(ほうめい)、篆刻(てんこく)を高畑翠石(すいせき)、吟詩を眞子西洲(まなごさいしゅう)の各先生に学び、その居を五楽庵と称した。昭和9年関西吟詩同好会を設立し発展に寄与する。初代会長藤澤黄坡先生没後二代目会長に就任。昭和44年9月没す。享年82。