漢詩紹介

読み方
- 追悼の詞 <安達 漢城>
- 人生夢の若く 亦煙の如し
- 君逝きて茫茫 転暗然
- 髣髴たる温容 呼べども答えず
- 大空漠漠 恨み綿綿
- ついとうのし <あだち かんじょう>
- じんせいゆめのごとく またけむりのごとし
- きみゆきてぼうぼう うたたあんぜん
- ほうふつたるおんよう よべどもこたえず
- たいくうばくばく うらみめんめん
詩の意味
人の命は夢や煙のようにはかなく定めのないものと分かってはいるが、君の死に遭(あ)ってみると唯ぼんやりとして、心も暗く打ち沈んでしまう。
在りし日の君の穏やかで優しい顔つきがほのかに浮かんできて、その姿を偲びつつ名前を呼んでも君は答えてくれず、果てしなく広がる虚空に恨みだけが永く続いて、尽きることはない。
語句の意味
-
- 暗 然
- 心が暗く沈んでいるさま
-
- 髣 髴
- ぼんやりと見えるさま
-
- 温 容
- 穏やかで優しい顔つき
-
- 大 空
- 虚空
-
- 漠 漠
- 広々として果てしないさま
-
- 綿 綿
- 長く続いてたえぬさま
鑑賞
万人の思いにかなう哀悼の詩、挽歌中の挽歌
親しいものを失った情を素直で平易な表現で代弁している。つまり「人生は夢の如し」「君がいなくなって心は暗澹」「君を偲んで名を呼ぶが答えはない」「残るは辛い思いだけ」とあって、どれも「そのとおり、そのとおり」と頷けるので何の説明もいらない、生の情をそのまま表現したところが実にいい。追悼の詩や歌は数多くあり、どれも深い悲しみを感じるが、他の詩を借りるまでなく、この詩は万人の共感を呼んでいる。死別は言うまでもなく無限の哀しみである。その情は「茫茫」「漠漠」「綿綿」などの畳語と「暗然」「髣髴」の心象風景を表す語によって醸し出されている。これらの語の意の含むところは無限のさまである。一方死別の傷みもまた無限であるから、このふたつが二重奏のような旋律を作り一層増幅され、永遠の哀しみが表現されている。吟詠家仲間では葬儀でよく吟じられる名詩である。
参考
追悼の詩を三題
蒿里(こうり)の曲 無名氏(中国)
蒿里誰家地 蒿里誰が家の地ぞ
聚斂魂魄無賢愚 魂魄を聚斂(しゅうれん)して賢愚無し
鬼伯一何相催促 鬼伯一に何ぞ相ひ催促する
人命不得少踟蹰 人命少くも踟蹰(ちちゅう)するを得ず
(蒿里は誰の場所か。そこは賢きも愚かなるも区別なくすべての人の魂魄を集めるところ。死神の催促は容赦なく、人の命は少しの猶予も与えられないのだ)
蒿里=泰山の南にある山 庶民が死ぬと魂がここに来るといわれる
哀悼の詞 本宮三香
百歳人生竟不全 百歳の人生竟(つい)に全(まった)からず
哀君為客到黄泉 哀しむ君が客(かく)と為って黄泉に到るを
墓前呑涙祈冥福 墓前涙を呑んで冥福を祈る
断腸薫香一片煙 腸(はらわた)は断つ薫香(くんこう)一片の煙
安達漢城先生墓前の作 宮崎東明
八聖殿中崇八聖 八聖殿中八聖を崇(あが)め
三賢堂裏敬三賢 三賢堂裏三賢を敬う
嗚呼偉大先生徳 ああ偉大なり先生の徳
千里東来拝墓前 千里東来して墓前に拝す
詩の形
平起こり七言絶句の形であって、下平声一先(せん)韻の煙、然、綿の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
安達漢城 1864~1948
明治から昭和時代の政治家・漢詩家
熊本に生まれる。名は謙蔵、漢城と号す。明治35年衆議院議員となり大正元年立憲同志会に入会。加藤高明内閣で逓信(ていしん)大臣、若槻礼次郎内閣で内務大臣を歴任。若くして吟詠を好み、昭和8年横浜に八聖殿、のち熊本に三賢堂を建て、国民精神涵養(かんよう)に意を尽くした。なお本会顧問としてしばしば大会に出席された。昭和23年8月没す。享年85。従三位を贈られる。