漢詩紹介

読み方
- 九段の桜 <本宮三香>
- 至誠烈烈 乾坤を貫く
- 忠勇の誉れは高し 靖国の門
- 花は九壇に満ちて 春海の若し
- 香雲深き処 英魂を祭る
- くだんのさくら <もとみやさんこう>
- しせいれつれつ けんこんをつらぬく
- ちゅうゆうのほまれはたかし やすくにのもん
- はなはくだんにみちて はるうみのごとし
- こううんふかきところ えいこんをまつる
詩の意味
最上の誠を貫いてお国のために一命を捧げた激しく盛んなその精神は、天地間に満ち溢れている。靖国神社にはそうした忠勇の誉れ高い人たちを祀ってある。
九段のお社には今年も桜の花が咲き乱れ、風に揺れて、あたかものどかな春の海を見ているようである。そうした花霞の奥に祀られた英霊は今、安らかに眠っているのである。
語句の意味
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- 九 段
- 東京都千代田区の地名 靖国神社の建つ所
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- 至 誠
- 最上の誠
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- 烈 烈
- 激しく盛んなさま
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- 乾 坤
- 天地
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- 香 雲
- 群がり咲く桜花
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- 春若海
- 桜の花が咲き乱れ波を打ち一面海のように見える様
鑑賞
240余万柱への鎮魂歌
靖国神社に祀られた英霊を詠じた詩である。その境内は3万坪というから東京の中では特別な空間となっている。作者自身が日露戦争で銃弾の中を潜り抜けた経験があり、しかも先の大戦で逝った若者たちを目のあたりにしているから、その戦友たちの霊魂を弔わなければならないという作者の深い思いがある。「至誠」「烈烈」「乾坤」「忠勇誉」「春若海」など最大級の強い言葉を並べているのもそのためであろう。
桜は日本の国花である。お国のために散って行った人たちを国花が咲く社に祀る意義を詠いたかったのであろう。あの広大な地に桜が海のように本殿を囲み、春風に伴ってハラハラと舞い散る景の中に、英霊たちよどうか安らかに眠ってほしいという誠実な作者の願いが伝わる。
この際あまり個人の思想信条は持ちこまないで、人としての純粋な気持ちで靖国神社を拝みたいものだ。
参考
靖国神社とは
明治2年6月「東京招魂社」として建てられ、10年後に「靖国神社」と改められ別格官幣社となった。明治天皇は「全殉難者の御魂祭りこそ国自ら永久に続けるべき祭である」と仰せられ、その祭典は現在も続いている。祭神ははじめ3588柱であったが、その後維新前後の殉難者・佐賀の乱・西南の役・日清日露戦役・満州事変・済南事変・日支事変・第2次世界大戦等の戦死者約240余万柱が合祀されている。昭和47年に本殿が改築された。この神社の象徴として国民に親しまれている第一鳥居は昭和49年に再建されたもの。現在は国家の管理を離れ、単立の宗教法人となる。礼祭は4月と10月の2季に行われる。
詩の形
平起こり七言絶句の形であって、上平声十三元(げん)韻の坤、門、魂の字が使われている。なお詩の題に「九段」とあるのに転句では「九壇」となっているのは平仄を合わせるためであり、九段と同意である。題名に九段(だん)の字を用いたのは、社の建つ地名が、その地域において九段と大衆的に定められており、それに従って作者が用いたものと思われる。しかし本会がこの詩を採用するに、漢詩の平仄法における二四不同に反するため、あえて壇(だん)の字を用いて平字とし規則を正したものである。なお壇の字の本来は土を高く盛って神仏を祭る所とあるので、意味からするとこの字の方がふさわしい。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者略伝
本宮三香 1878-1954
明治から昭和時代の漢詩家・軍人
千葉県香取郡津宮村(現在の佐原市津宮)に生まれる。名は庸三、字は子述、別に風土子と称し、三香は号。幼にして漢学漢詩を学ぶ。日露戦役では第三軍に属し戦場でも詩を作る。39年凱旋後故山に帰り悠々自適の生活を楽しむ。大正2年「江南吟社」を設立、のち「水郷吟詠会」を組織し、木村岳風の日本詩吟学院の講師を委嘱されるなど作詩及び詩吟の普及に尽力した。作詩5千、酒と詩を愛した。昭和29年12月没す。享年77。