漢詩紹介

読み方
- 富岳 <乃木 希典>
- 崚嶒たる富岳 千秋に聳え
- 赫灼たる朝暉 八洲を照らす
- 説くを休めよ 区区たる 風物の美
- 知霊人傑 是神州
- ふがく <のぎ まれすけ>
- りょうそうたるふがく せんしゅうにそびえ
- かくしゃくたるちょうき はっしゅうをてらす
- とくをやめよ くくたる ふうぶつのび
- ちれいじんけつ これしんしゅう
詩の意味
富士山は高く美しく千年も変わらぬ姿で聳(そび)え、光り輝く朝日は、この峰より昇り、隈なく日本の国を照らすのである。
あれこれ細かく風景の美しいことばかりを言うのはやめよう。土地柄も、人物も優れているのが日本の神国たる所以(ゆえん)である。
語句の意味
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- 崚 嶒
- 山の高く聳えるさま
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- 赫 灼
- 赤々と光り輝くさま
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- 朝 暉
- 朝日の光
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- 八 洲
- 大八洲(おおやしま) 日本
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- 区 区
- 細かいさま
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- 地 霊
- 土地柄が優れている
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- 人 傑
- そこに住む人物も優れている
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- 神 州
- 神の国の意で日本の美称
鑑賞
霊山富士は神州日本の象徴
富士山の詩は本会採用分でも幾つかある。絶句では石川丈山の「富士山」、伊藤博文の「日出」、荻生徂徠の「甲斐客中」の3題。丈山の詩は、神龍が住みついたり仙人が舞い降りたりと神秘性を絡(から)め、信仰の山としての位置づけである。博文のは雄大さと蓮の花に見立てた頂の優雅さの両面を詠み込んでいる。叙景詩として鑑賞したい。徂徠のものは、結句にしか富士は出てこないが、ぶどう酒と月と富士の取り合わせにローカル色があって、一味違う。さて希典の詩であるが、雄大さに加え、この山は単なる高峰ではなく、日本を象徴する霊山と強く定義づける。富士はそのまま日本国を意味する。神州日本は素晴らしい国土を持ち、偉大な人物を、とりわけ明治天皇を生み出しているとの発想と信念は希典独自のものであろう。晩年の作と言われる。彼の和歌とともに鑑賞するのもよい。
朝日さす 富士の神山 仰ぎ見れば
心もそらに すみわたるなり
備考
晩年の希典
希典は「金州城」「満州雑吟」「凱旋」など軍人としての印象が強いが、軍服を脱いだ素顔の日本人であった晩年をたどってみる。
- 明治39年 1月
- 旅順より帰国
- 8月
- 宮内省ご用係(天皇の側近)
- 40年 1月
- 学習院院長(皇族の教育を任される)
- 9月
- 伯爵を受ける
- 45年 1月
- オーストリア・ハンガリー帝国の外務官にこの「富岳」を提示した。ドイツ語に翻訳された(「日本漢詩」明治書院)
- 7月
- 明治天皇崩御
- 大正 元年 9月
- 静子夫人とともに殉死
詩の形
平起こり七言絶句の形であって、下平声十一尤(ゆう)韻の秋、洲、州の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
乃木希典 1849~1912
明治時代の陸軍軍人
長州藩(山口県)の江戸屋敷に生まれる。幼少期吉田松陰の叔父玉木文之進に学問を学び、剣を栗栖(くるす)又助に学んだ。また詩歌にも優れ、石林子(せきりんし)・石樵(せきしょう)とも号した。歩兵第14連隊長心得として西南戦争に出征し、連隊旗を西郷軍に奪われる屈辱を嘗(な)めたが、日清戦争では第1旅団長として旅順を占領した。日露戦争では第3軍司令官に任命された。明治37年大将となる。明治天皇の御大葬当日静子夫人とともに殉死した。享年64。