漢詩紹介

吟者:中谷 淞苑
2004年12月掲載

読み方

  •  藤樹書院を過る  <伊藤 東涯>
  • 江西の書院 名を聞くこと久し
  • 五十年前 義方を訓う
  • 今日始めて来る 絃誦の地
  • 古籐影は掩う 旧茅堂
  •  とうじゅしょいんをよぎる  <いとう とうがい>
  • こうせいのしょいん なをきくことひさし
  • ごじゅうねんぜん ぎほうをおしう
  • こんにちはじめてきたる げんしょうのち
  • ことうかげはおおオ きゅうぼうどう

詩の意味

 久しい以前から近江の国の西部に残っている藤樹書院の名は聞いていた。その書院は50年ほど前に、中江藤樹先生が、人の踏み行うべき正しい道や学問を教えたところである。

 今日はじめて学問のあった地に来てみると、藤樹の由来となる藤が古木となって、その影は茅葺(かやぶき)の書院を覆(おお)って、当時の面影をとどめている。

語句の意味

  • 藤樹書院
    中江藤樹が子弟を教えた建物 滋賀県高島市安曇川(あどがわ)町小川にある
  • 江 西
    近江地方(滋賀県)の西部
  • 義 方
    人の踏み行うべき道や学問
  • 絃 誦
    「絃」は絃歌 「誦」は誦読 中国では琴に合わせて書物を朗読したので読書や学問のこと
  • 茅 堂
    茅葺の家

鑑賞

  中江藤樹先生を覆う藤の古木

 歴史に関心のある人たちは各地の史跡をよく訪れる。彼らは言う「多年の念願がやっとかないました」と。東涯もまたこの地で、70年ほど前の偉業に浸っている。書院の姿をありのままに詠じている詩だが、もっと奥がありそうに思われる。つまりこの詩の理解のためには中江藤樹を知らなくてはならない。彼の偉大さを知ってはじめて、この古ぼけた堂が偉容に感じられるのである。

 さらに結句の「掩」の字に注目したい。もちろん古木がこじんまりした書院を覆っているのであるが、書院を藤樹先生と思えないか。古木を両親や地域の人々に感じられないか。先生の徳行(とっこう)も多くの人々の支えや協力があって育まれたものであってみれば、今なお藤樹先生を見守っている風景にみえる。

参考

  中江藤樹(1608~1648)は「近江の聖人」

 江戸初期の儒者・教育者。滋賀県高島市安曇川上小川に藩士の子として生まれる。9歳ころまで祖父とともに米子に暮らしていたがその後、主君の転封(てんぽう)により伊予(愛媛県)大洲(おおず)に移住した。27歳で母に孝養をつくすため大洲藩を脱藩してまで郷里に帰った。邸内に私塾「藤樹書院」を開き、熊沢蕃山(ばんざん)をはじめ多くの子弟を教育し、一方で次々に著書を発表した。その学問は初めは儒教の正統派である朱子学を奉じていた。35歳ごろから陽明学に惹かれ、自ら「知行合一(ちぎょうごういつ)」(正しいと信じることと行動が一致しなければならない)の実践につとめた。幕府からはにらまれたが、彼の行動は徳行を極めていたので、後の人は「近江聖人」と称えた。故郷高島市に「藤樹神社」「藤樹記念館」があり偉業を伝えている。なお当時の藤樹書院は明治13年の大火で焼失し、現在は瓦葺きの建物が当時を語っている。当時の藤の木は無く、その幹だけが記念館に展示されている。享年41。

  五事を正す近江聖人 中江藤樹先生の教え

貌(ぼう) ……顔つき
愛敬の心をこめてやさしく和やかな顔つきで人と接しましょう
言(げん) ……言葉づかい
相手に気持ちよく受け入れられるような話し方をしましょう
視(し)  ……まなざし
愛敬の心をこめて暖かく人を見、物を見るようにしましょう
聴(ちょう)……よく聞く
話す人の気持ちに立って相手の話を聞くようにしましょう
思(し)  ……思いやり
愛敬の心をもって相手を理解し思いやりの心をかけましょう

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、下平声七陽(よう)韻の方、堂の字が使われている。起句は踏み落とし。

結句 転句 承句 起句

作者

伊藤東涯 1670~1736

  江戸中期の儒者

 寛文10年に京都堀川に生まれた。名は長胤(ながたね)、通称は源蔵、東涯は号。伊藤仁斎の長子で「古義堂」2代目。博学多才であり、沈静寡黙(ちんせいかもく)、恭倹謹厳な性格で、人の短所を口にしない人柄であった。父の唱えた「古義学」を継承し、多くの門人を育てその名を高めた。その名声を聞いた和歌山藩主から側近として招かれたが固辞し、門人たちと研究に投じた。父仁斎の遺著の編集や刊行に努め、自身も「論語集解(しっかい)校正」を初め多数の著書がある。元文元年7月没す。享年67。