漢詩紹介

CD①掲載 吟者:岸本快伸
2014年9月掲載

読み方

  •  立山を望む  <国分 青厓>
  • 夢に名山を見ること 四十年
  • 暮に山麓に投ずれば 只雲煙
  • 天明日出でて 驚き相揖すれば
  • 玉立せる群仙 我が前に在り
  •  たてやまをのぞむ  <こくぶ せいがい>
  • ゆめにめいざんをみること しじゅうねん
  • くれにさんろくにとうずれば ただうんえん
  • てんめいひいでて おどろきあいゆうすれば
  • ぎょくりつせるぐんせん わがまえにあり

詩の意味

 四十年来、この名山、立山にあこがれて夢にまで見続けてきた。昨日夕暮れ時、山麓に着き宿から眺めたが、ただ靄(もや)が一面にかかっていて何も見ることはできなかった。

 今、朝日が出て山の姿が現れてきたので思わず丁寧に会釈をすると、清らかな雪に輝く連峰が、並び立つ仙人のように目前に迫って来るのであつた。

語句の意味

  • 立 山
    富山県の南東部飛騨山脈(北アルプス)北西部の連峰の名
  •  投 
    宿泊する
  • 天 明
    夜明け
  • 相 揖
    (先方を敬って)会釈する 中国風に両手を胸の前で組み合わせお辞儀をする
  • 玉 立
    清らかに美しく立つ
  • 群 仙
    多くの仙人

鑑賞

  仙人を思わせる立山連峰

 季節は定かでない。冬は登山には厳しいが、麓から眺めるには、雪を戴く連山の方が迫真の感がある。夏山でも鑑賞に堪える。写真でよく見かけるように、その雄姿は見ごたえがある。しかも何年もの間一見したいとの憧れが、ついに実現した感動が素直に伝わってくる。結句が詩人らしくていい。すなわち連峰の姿を多くの仙人と例えたところがこの詩の眼目である。仙人は超俗の人であり気高い威容を備えている。眼前の山々がそれだと詠う。人を簡単には寄せ付けない堂々とした山が聳えているのである。

 なお字解で迷うのは「相揖」の「相」である。この字は、①互いに②(動作や行為が相手に向かっていることを暗に示し)そちら(こちら)に対し、などと訳す。例えば王維の「竹里館」で「明月来たりて相照らす」の用例のように「明月がやってきてはこちらを照らしている」と訳す。青厓の詩も転句は「朝日が昇って来て思わずお互いに会釈する」ではなくて、作者が連峰に向かって会釈する場面である。

備考

  立山連峰とは

 中部山岳国立公園に属す。立山という山があるのではなく、大汝(おおなんじ)山(3015メートル)を最高峰とし剣岳(つるぎだけ)、雄山(おやま)、浄土山などを含めて立山または立山連峰という。頂上に雄山神社があり、雄山を指して立山ということもある。山岳信仰の山として古くから開け、富士山、白山とともに日本三霊山に数えられる。

詩の形

 仄起こり七言絶句の形であって、下平声一先(せん)韻の年、煙、前の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

国分青厓 1857~1944

  明治から昭和にかけての漢詩人

 仙台に生まれた。名は高胤(たかたね)、字は子美、青厓は号。別に太白山人とも号した。年少にして藩学「養賢堂」教授国分松嶼(しょうしょ)に漢学を、落合直亮(なおあき)に国学を学ぶ。18歳で東京に出て司法省法学校に入る。28歳で高知新聞、35歳で日本新聞の記者となり詩評の欄を担当し、その関係で青厓の詩名もしだいに高まった。のち大東文化学院教授となって詩作の指導に当たる。昭和19年没す。享年88。