漢詩紹介

読み方
- 偶 成 <松平 春嶽>
- 眼に見る年年 開化の新たなるを
- 才を研き 智を磨き 競うて身を謀る
- 翻って愁う 習俗の 浮薄に流るるを
- 能く忠誠を守るは 幾人か有る
- ぐうせい <まつだいら しゅんがく>
- めにみるねんねん かいかのあらたなるを
- さいをみがき ちをみがき きそてみをはかる
- ひるがえってうれう しゅうぞくの ふはくにながるるを
- よくちゅうせいをまもるは いくにんかある
詩の意味
西洋文明が流入して、世の中は開化に向かって進んでいる姿をよく見る。人々は競って技術や知識を学び磨き、立身出世を図っている。
昔は天下のために学んだのであるが、今は風俗も軽薄に流れていて、思い返してみると愁うべきことである。こういう時期に天下国家のために志を果たすことのできる人は、どれくらいいるであろうか。
語句の意味
-
- 開 化
- 文明開化 文化の進むこと
-
- 謀 身
- 立身出世を願う
-
- 習 俗
- 風習 風俗
-
- 浮 薄
- 薄っぺらなこと
-
- 忠 誠
- 天下万民のために尽くす真心
鑑賞
憂国の士の犠牲の上にある明治維新であったのに
作られたのは明治になってからか、あるいは春嶽が政界引退してからと考えられる。幕臣から新政府の役人に成りあがった者たちが西洋文化にかぶれていることに、まず不快感を示している。政府高官なら自分の出世より日本の将来はどうすべきかを考えなければいけないのに、と苦言を呈している。さらに結句では、明治維新からわずか20年ほど前に国家の将来を愁いて命をささげた偉人たちがいたことを暗示している。たとえば吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、橋本左内、水戸浪士など、親よりも国事を優先して息絶えた者たちの犠牲の上に成り立った明治新時代であるのに、新政府の役人はその尊さを忘れ、天下国家のために尽くすという精神が見られない。作者はこのことに憤慨しているのである。
ただそれほどの憂国の士である作者が、明治新政府の樹立とともに議定(ぎじょう)という日本を動かせる要職に就きながら、40歳代に早々に引退したことは、どう考えればよいのか。
参考
文明開化のころ
- 明治2年
- パンの製造販売 電信の開通
- 3年
- 牛乳屋開業 自転車の使用 背広服流行 靴の国産
- 4年
- 西洋料理店できる 郵便制度の開始 西洋建築始まる 椅子・テーブルの使用
- 5年
- ビールの飲用 帽子の流行 ガス灯が灯る 鉄道の開通
- 10年
- 電灯の点灯
詩の形
仄起こり七言絶句の形であって、上平声十一真(しん)韻の新、身、人の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
松平春嶽 1828~1890
幕末の福井藩主
名は慶永、号は春嶽。文政11年、御三卿のひとつである田安家に生まれた。ペリー浦賀来航を機に橋本左内を採用し、富国強兵と藩政改革を推進させた。尊王攘夷思想家であったため安政の大獄に連座して隠居謹慎を命ぜられたが、桜田門外の変後、解かれ、幕府政事総裁職(大老相当職)となり、幕政の改革を図り、公武合体を推進し、大政奉還を断行させた。新政府に迎えられて議定となる。41歳で政界を引退した。明治23年6月病没。享年63。