漢詩紹介

読み方

  •  春日偶成  <夏目 漱石>
  • 道う莫れ 風塵に老ゆと
  • 軒に当たれば 野趣新たなり
  • 竹深うして 鶯 乱れ囀り
  • 清昼 臥して 春を聴く
  •  しゅんじつぐうせい  <なつめ そうせき>
  • ユうなかれ ふうじんにおゆと
  • けんにあたれば やしゅあらたなり
  • たけふこオして うぐいす みだれさえずり
  • せいちゅう がして はるをきく

詩の意味

 俗世間の煩わしさの中で、すっかり老けてしまったと嘆いてはいけない。わが家の縁側の春の風情は、自然の清新な田舎の趣きがあふれているから。

 竹藪は深々と茂り、鶯があちこちでさえずっている。私は静かな昼日中、横になって鶯の声を聞きながら、春の情趣を味わうことができるのである。

語句の意味

  •  道 
    言うと同義
  • 風 塵
    俗世間
  •  軒 
    手すり ここでは縁側
  • 野 趣
    素朴な自然の趣き
  • 清 昼
    世間からかけ離れた静かな真昼

鑑賞

  追い求めた「則天去私(そくてんきょし)」ここにあり

 この詩は死の13年前、46歳の時、いわゆる「修善寺の大患」で生死をさまよった後の小康状態の中で作られたものである。神経衰弱に胃病を抱えた彼だが、文筆活動は盛んであった。家の庭の晩春の光景に接し、離俗の心境を述べたもの。この種の漢詩は中国を含め無数にある。この詩を一読すると王維の「竹里館」が浮かぶ。光景と詩趣が二重になって見える。陶淵明や王維に影響された漱石であることは周知のことである。

 彼は世俗の名誉を嫌う人であった。そのことは東大教授の席が用意されたのに彼はきっぱり拒否した。また44歳の時、文学博士号の栄誉も辞退していることからもわかる。それより人間に巣食う醜いエゴイズムからの脱却、つまり「則天去私」という自由な境地を目指していた。その具体的表現の一つがこの詩と言える。もっともこの「春日偶成」は連作で10首あり、これはその第1首目である。各詩とも詠われている場所も時間も異なるが、自然の中で自由に安住しようとする人生観でつながっている。

 どの解説書にも結句の「春を聴く」の詩語が品格の高い作品に仕上げているとある。漱石の造語であるが、普通は「春を知る」とか「春に遭う」であろうが、鶯の到来に特別なものを感じて縁語的表現の効果を狙ったのであろう。

参考

  「則天去私」とは

 天にのっとり、私心を用いない。自我を去って自然の中に物事を見極める。夏目漱石の晩年に達した文学観(漢語林=大修館)

 「天意につき従って、私心を捨て去る」の意。夏目漱石の晩年の人生観として名高い(国語辞典=旺文社)

 夏目漱石の最晩年のことば。小さな私を去って自然にゆだねて生きること。宗教的な悟りを意味すると考えられている。また、創作上、作家の小主観を挟まない無私の芸術を意味したものだとする見方もある(広辞苑=岩波書店)

詩の形

 仄起こり五言絶句の形であって、上平声十一真(しん)韻の新、春の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

夏目漱石  1867~1916

  明治・大正時代の小説家・英文学者

 慶応3年江戸牛込の名主の家に生まれる。本名は金之助。兄弟が多く二度里子に出された。14歳の時、二松学舎で漢学を、成立学舎で英語を学び、23歳で東京帝国大学英文科に入学。正岡子規と親交を結ぶ。卒業後、松山中学や熊本の高等学校の教師に出向いた。国費留学生としてイギリスに留学した。ひどく精神を病む。帰国後、東京帝国大学で英文学を講義した。40歳で大学教授の誘いを断り、朝日新聞専属の作家となった。胃潰瘍で生死の境をさまよいながら講演や作家活動に意欲を示した。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」をはじめ数々の名作がある。大正5年没す。享年50。