漢詩紹介

CD④収録 吟者:松尾佳恵
2016年8月掲載

読み方

  •  嵐山に遊ぶ <頼 山陽>
  • 清渓一曲 水迢迢
  • 水を夾むの桜花 影も嬌なり
  • 桂楫 誰が家の 貴公子ぞ
  • 落紅深き処 坐して簫を吹く
  •  らんざんにあそぶ <らい さんよう>
  • せいけいいっきょく みずちょうちょう
  • みずをはさむのおうか かげもまたきょうなり
  • けいしゅう たがいえの きこうしぞ
  • らっこうふかきところ ざしてしょうをふく

詩の意味

 嵐山のすぐ下の清らかな川の水が一曲りして遥か遠くへ流れてゆく。この川を挟んで桜の花が咲いているが、その姿がとてもなまめかしく美しい。
 立派な舟で舟遊びをしているのはどこの家の貴公子であろうか。桜の花びらの散りしく中、舟に坐って笛を吹いている。

語句の意味

  • 嵐 山
    京都市の西方にある名所 春の桜と秋の紅葉が有名
  • 迢 迢
    遥か遠いさま
  •  嬌 
    なまめかしく美しい
  • 桂 楫
    桂の木で作った楫(かじ) 上等な舟の形容
  • 落 紅
    散り落ちる桜
  •  簫 

鑑賞

  夢が膨らむなら詩には虚構があってよい

 文化8年(1811)、山陽は広島県福山市神辺(かんなべ)町の「適塾」主宰の菅茶山の推薦による福山藩儒官の職を拒み、京都に上った。まず蘭医小石檉園(ていえん)宅に身を寄せた。二人で嵐山を訪れた時の作で、3首のうちの第一作。時に32歳。
 嵐山は京都西部の景勝地で、大堰川(おおいがわ)を下に見て標高375メートルの山をいうが、現在ではこの山を含めて渡月橋あたりを中心に一帯をさしてこう呼ぶ。春は桜、夏は新緑、秋は紅葉、冬は雪景色と四季を通じて景観秀でた名勝である。この桜の嵐山に上等な舟に乗った貴公子が簫の笛を吹きながら桜の散る風情を楽しんでいると歌う。ただあまりに役者がそろい過ぎて現実離れ感が無きにしもあらずである。こういう雅(みやびやか)な世界があったらいいなという夢を見ているのではないか。詩では、夢が膨らむなら虚構があってもいい。しかしこの時、本当に貴公子が笛とともに立派な舟で現れたという光景も否定できない。もしそうなら平安絵巻さながらの風情を作者は堪能(たんのう)したことであろう。

参考

  山陽と江馬細香

 二人の初めての出会いは、山陽が美濃路を旅し、大垣藩医の江馬蘭斎を訪ね、その娘の細香に会った時である。このころ、近世後期における学芸の普及によって多くの女性知識人を生み出しており、中でも特に有名で女流詩人としても名が高かった細香に一目惚れしたのは山陽の方であった。その後、山陽は結婚の申し込みをするが、著名な蘭医であった父蘭斎によって拒まれた。裕福な医家である江馬家は、故郷の大垣ばかりでなく、京都にも別宅を構えており、細香は屡々(しばしば)京都に行き、山陽に詩の添削を求めている。その細香は詩集「湘夢遺稿」を遺しているが、その300首に近い詩はほとんど山陽への愛慕の思いを詠じたものである。注目すべきは、細香は山陽のために生涯を独身で過ごしたが、あくまで独立した生き方を通した。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、下平声二簫(しょう)韻の迢、嬌、簫の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

頼山陽  1780~1832

  江戸後期の儒者・漢詩人・教育者

 広島県竹原市の人で、安芸藩儒者、春水の長男として生まれた。名は襄(のぼる)、字は子成、号は山陽。18歳で江戸の昌平黌学問所で学んだ。ただ素行に常軌を逸脱することが多く、最初の結婚は長く続かず家族を悩ませた。21歳で京都に走ったため、脱藩の罪で4年間自邸に幽閉された。しかしこの間読書にふけり、後の「日本外史」の案がなったといわれる。32歳のころから京都に定住し「山紫水明処」という塾を開き子弟の育成と自分の学問に励んだ。子供に安政の大獄で処刑された鴨厓(三樹三郎)がいる。享年53。