漢詩紹介

読み方

  •  太平洋上作有り <安達漢城>
  • 日は浪より昇って 又波に沈む
  • 海水洋洋として 紫色多し
  • 鵬影は飛ばず 鯤は躍らず
  • 碧空万里 白雲過ぐ
  •  たいへいようじょうさくあり <あだちかんじょう>
  • ひはなみよりのぼって またなみにしずむ
  • かいすいようようとして ししょくおおし
  • ほうえいはとばず こんはおどらず
  • へきくうばんり はくうんすぐ

詩の意味

 太平洋は波また波の広大さで、太陽も波間から昇り、また波間に沈むのである。海水は広々として紫一色が遥か遠くまで続いている。
 鵬の飛んでいる姿や、鯤の波間から躍り出る姿もなく、静かな太平洋の上は青空がはてしなく広がり、白雲がゆったり流れてゆく。

語句の意味

  •  浪 
    大波
  • 洋 洋
    広々と穏やかにのびのびしたさま
  •  鵬 
    想像上の大鳥
  •  鯤 
    想像上の大魚
  • 碧 空
    青空 「碧」は深緑色

鑑賞

  鵬や鯤はあくまで想像上の動物

 いつの作品か定かでない。アメリカに渡った記録はないが朝鮮に旅したことは確か。日の出と日没を見ているところからすればおそらく横浜港から3日かけて太平洋をよこぎったのであろう。山も島も何も見えない洋上だから、「海は広く青く大きい」と言ってしまえば事足りるのであるが、この詩は一味違う。それは転句に鵬と鯤の伝説を絡めたところにある。海には巨大な動物がいて恐ろしい災いを起こすというのがそれまでの大海観である。たとえば「磯原客舎」の「巨鼇(きょごう)海を蔽(おお)うて艨艟(もうどう)來たる」や王維の「秘書晁監の日本国に還るを送る」の中で「鰲身(ごうしん)天に映じて黒く 魚眼波を射て紅なり」のように海には大きな亀や巨大魚が棲息(せいそく)していると信じられていた。しかし作者はその伝説をあえて否定している。さまざまな鑑賞がわく。1つは、その時海は本当に穏やかであったので獰猛(どうもう)が動くとは考えられなかったとする。2つめは、海上が穏やかなだけに、これは仮の姿で、本当の海の底しれぬ力強さ怖さを思い浮かべている。とする。3つ目は、進んだ学問を身につけていた作者は、根拠のない迷信や伝説は時代遅れで、ただ見るべきものは、現実の姿のみという先見性を含んだ強い精神の表れではないか。というもの。この転句に、大海原のように、洋々と広がる作者のこれからの人生が重なって雄大な詩になっている。

備考

  「荘子」(逍遥遊編)にある鵬と鯤の話

 「北冥に魚ありその名を鯤と為す。鯤の大きさ其の幾千里なるかを知らず。化して鳥と為るや其の名を鵬と為す。鵬の背其の幾千里なるかを知らず。怒(はげ)んで飛べば其の翼は天より垂るる雲の如し。是の鳥や海の運(うご)く時則南冥に徒(うつ)らんとす。南冥とは天地なり。(以下略)

参考

  8聖殿と3賢堂

①8聖殿
釈迦 孔子 キリスト ソクラテス 聖徳太子
弘法大師 親鸞聖人 日蓮大聖人を祀る。

②3賢堂
菊池武時(たけとき)加藤清正 細川重賢(しげかた)を祀る。

詩の形

 平起こり七言絶句の形であって、下平声五歌(か)韻の波・多・過の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

安達漢城  1864~1948

  明治から昭和時代の政治家・漢詩家。

 熊本に生れ、済済黌(せいせいこう)に学ぶ。名は謙蔵、漢城と号す。明治27年朝鮮にわたり「朝鮮時報」など創刊して言論界で活躍した。明治35年(31歳)に衆議院議員となり、憲政会の領袖(りょうしゅう)となる。大正元年立憲同志会に入会。逓信(ていしん)・内務大臣に就任した。昭和8年国民同盟を結成、総裁に推される。同年横浜に8聖殿を、ついで熊本に3賢堂を建て、国民精神の高揚、吟詩の普及発展に尽くされた。晩年は本会顧問を委嘱。昭和23年没す。享年85。従3位を贈られる。