漢詩紹介
読み方
- 甲斐の客中 <荻生 徂徠>
- 甲陽の美酒 緑葡萄
- 霜露三更 客袍を湿す
- 須らく識るべし 良宵 天下に少なるを
- 芙蓉峰上 一輪高し
- かいのかくちゅう <おぎゅう そらい>
- こうようのびしゅ りょくぶどう
- そうろさんこう かくほうをうるおす
- すべからくしるべし りょうしょう てんかにまれなるを
- ふようほうじょう いちりんたかし
詩の意味
甲斐の国のおいしい酒は、この地方の名産の緑色の葡萄から造られている。この葡萄酒を味わっているうちに、時がたち、いつの間にか夜の12時ごろとなり、霜や露で旅衣はすっかり湿ってしまった。
こんな素晴らしい夜はめったにないことだ。富士山の嶺を見上げると 一輪の月が皎々と高く輝いている。
語句の意味
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- 甲 陽
- 甲斐の国(山梨県)
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- 客 中
- 旅の途上
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- 三 更
- 子の刻 午後11時~午前1時
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- 客 袍
- 旅の装い 「袍」は綿入れ
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- 良 宵
- 「宵」は夕暮れ ここでは夜 良い夜
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- 芙 蓉
- 富士山の雅称
鑑賞
主題は葡萄酒か明月か富士の峰か
この詩は、五代将軍綱吉の老中格の側近であった柳沢吉保(よしやす)が1704年から甲府藩主となり、作者も臣下として当地に赴いた折の作である。江戸に戻ってから「峡遊雑詩三首」を表した中の1首である。
藩邸内に寓居した作者が葡萄酒を片手に夜中まで飲んでいる。ふと外を見ると満月がかかり、あの名峰富士が夜空に浮かんでいるという。扇を逆さにしたような見事な陰影の霊峰を見たのである。数有る富士を隠した詩の中でも夜中の富士は珍しい。転句までは富士に触れず、結句で主題である富士の姿を、出し惜しみしたかのように突然詠うという運びは意表を突く。月光に浮かぶ富士の優美さと明日を味わいたい。
備考
芙蓉はもと蓮の花
「芙蓉」は中国では蓮の花を指す。白居易が「長恨歌」の中で幾度もこの言葉を使って、美しさ華やかさを表現しているし、楊貴妃の象徴のような使い方をしている。そのためか美人の形容ともなっている。日本では、富士の頂が蓮の花弁のように八か所の凹凸があることから、富士山の美称として使われる。
漢詩の小知識
再読文字の「須」
「すべかラク……ベシ」と読んで「ぜひとも……せよ」という意味である。
(例)只須清越嘯長風
勧君須択中庸去
ただ再読文字には必ず返り点が来ることもお忘れなく。
詩の形
平起こり七言絶句の形であって、下半声四豪(ごう)韻の萄、袍、高の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者
荻生徂徠 1666~1728
江戸中期の儒学者
名は双松(なべまつ)、通称惣右衛門、字は茂卿(もけい)、号は徂徠。寛文6年江戸で生まれた。性格は豪放で、学識博(ひろ)く、9歳で詩を作っている。父方庵(ほうあん)は幕府の侍医であった。柳沢吉保に仕え、徳川綱吉に認められたが、綱吉の死後、1709年、官を辞し、日本橋に住み学間に専心した。初め朱子学を奉じたが、のち荀子(じゅんし)を重んじる思想を是とし、私塾にちなんで蘐園(けんえん)学派と呼ばれた。晩年には八代将軍吉宗の諮問(しもん)にあずかった。太宰春台、服部南郭等はその門弟である。著書多数。詩文集に「徂徠集」31巻などがある。享保13年没した。享年63。