漢詩紹介
読み方
- 別離<沢庵>
- 天南北に分れ 兩鳧飛ぶ
- 何れの日にか舊棲 𦐂を雙べて歸らん
- 聚散恆無く 只此の如し
- 世上の禽も亦 樞機有り
- べつり<たくあん>
- てんなんぼくにわかれ りょうふとぶ
- いずれのひにかきゅうせい よくをならべてかえらん
- しゅうさんつねなく ただかくのごとし
- せじょうのとりもまた すうきあり
字解
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- 兩 鳧
- 二羽のかも ここでは澤庵と玉室をさす
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- 𦐂
- つばさ 翼と同意義
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- 聚 散
- 集まりまた散ること
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- 樞 機
- 物を動かすからくり かなめ ここではくるりと向きをかえることを指す
意解
空には南北にわかれて、二羽のかもが飛んで行く。けれどもいつの日にか翼を並べて、古巣にかえるときもあるだろう。集まるも散るもたえず変化 し、世の鳥たちもまた向きをかえるときもある。
備考
この詩の構造は七言古詩の形であって、上平声五微(び)韻の飛、歸、機の字が使われている。
作者略伝
澤 庵 1573-1645
江戸時代の僧侶。但馬国出石(たじまのくにいずし)に生まれ、大徳寺153世の住持となる。字は澤庵、諱(いみな)は宗 彭(そうほう)。寛永4年6月紫衣(しえ)事件で出羽国上山(でわのくにかみのやま)に流された。のち赦されて将軍家光・柳生但馬守の尊崇を受 け、品川東海寺を賜る。73歳にて没す。巷説として宮本武蔵の師、たくあん漬けの創製者として知られている。
※紫衣事件
当時皇室がもっていた大徳寺・妙心寺の住持任命権に幕府が介入した為、澤庵・玉室が反抗。これが幕府の怒りにふれて澤庵は出羽国上山へ、玉室 は陸奥国赤楯(むつのくにあかだて)に流罪となる。15年後、澤庵の主張が全面的に認められて解決した。