漢詩紹介

読み方

  •  百忍の詩  <中江 藤樹>
  • 一たび忍べば 七情 皆中和す
  • 再び忍べば 五福 皆並び臻る
  • 忍んで百忍に到れば 満腔の春
  • 熙熙たる宇宙 総べて真境
  •  ひゃくにんのし  <なかえ とうじゅ>
  • ひとたびしのべば しちじょう みなちゅうわす
  • ふたたびしのべば ごふく みなならびいたる
  • しのんでひゃくにんにいたれば まんこうのはる
  • ききたるうちゅう すべてしんきょう

詩の意味

 人間は7つの感情を持っており、抑制しないと、よくないことがおこる。一度これらの表出を忍べば、それらの感情は偏らないで溶け合い和らいでいく。さらに忍べば、5つの幸福がすべて自分の周囲に集まる。

 修業を重ね、100度も忍ぶことができるようになれば、身体中はいつも春のような気分に満ち溢れ、広々とした宇宙の事象をすべて受け入れることができる。これが真の境地というものである。

語句の意味

  • 七 情
    礼記(らいき)でいう喜・怒・哀・懼(く)・愛・悪(お)・欲の7種の感情
  • 中 和
    偏らないで溶け合い和む
  • 五 福
    書経でいう長寿・富裕・無病・愛徳・知命の5つの幸福
  • 満 腔
    身体中に満ち溢れる
  • 熙 熙
    広々している

鑑賞

  「耐え忍ぶことが人に幸福を招く」の教え

 作詩の法則を無視して「忍」の字を4度も使用しているが、この字に込められた藤樹の処世訓を学ばねばいけない。

 「耐え忍ぶこと」、言いかえれば「制御すること」が、この詩の眼目であり、人の幸福にとって、この上なく大切なものであると教えられる。ただ後半はわかりにくい。修業を重ねて百忍できると宇宙のすべてが受け入れられるとは、どんな境地なのか。想像さえつかない。いやむしろ、そのことを考えることが、実は大切な人間修業なのだと教えているのかもしれない。

参考

  藤樹の教え「致良知(ちりょうち)」

 陽明学の祖として歴史に残る藤樹は、朱子学とは違った方向で人の道を説いた。陽明学といえば「知行合一(ちこうごういつ)」が有名であるが、藤樹の教えはそれを具体化した「致良知説」「明徳説」「孝養説」などがある。今も地域の人に尊ばれている「致良知説」について紹介する。

 <人間は誰もが生まれながらに天から得た良知と呼ばれる美しい心を持っています。しかしそれは我欲によって覆われていますから絶えず磨き続けて鏡のように輝かせる努力が大切です。良知が明らかになれば天と一体となって安らかな人生を送ることができるのです。藤樹先生はそれを「致良知」(良知に致る)という言葉で説きました。良知に至る工夫は、貌(ぼう)言視聴思の「五事を正す」ことです。和やかな顔つきをし、思いやる言葉で話しかけ、澄んだ目で物事を見つめ、耳を傾けて人の話を聞き、まごころを持って相手を思う。日常においてそのようにできれば良知に至っているのだと教えました。自らを省みて心を慎む日々を重んじたのです。> 

 (藤樹書院案内書から)

詩の形

 この詩は箴言(しんげん=教訓となる言葉)として作られたもので、仄起こり七言絶句の形のようであるが、押韻もなく、忍の字を4度も使用し、平仄が合わないところもある。作詩上はやや難があるが箴言として味わうものであろう。

結句 転句 承句 起句

作者

中江藤樹  1608~1648

 江戸時代初期の儒学者・教育者

 日本陽明学の祖。名は原(げん)、字は惟命(これなが)、通称は与右衛門だが自宅の藤の木にちなみ藤樹先生と呼ばれた。近江の国(滋賀県)高島郡小川村の生まれ。9歳で祖父に引き取られ伯耆(ほうき)の国(鳥取県)米子、のち伊予の国(愛媛県)大洲(おおず)と移り、祖父の死後、大洲藩に仕えた。27歳で故国の母に孝養をつくすため脱藩、帰郷し、学問に専念すると同時に藤樹書院を開いて儒教、とりわけ陽明学を講じた。その学識、人間性から近江聖人と呼ばれた。享年41。「翁問答」など著書多数。