漢詩紹介

CD②収録 吟者:池田菖黎
2015年 4月掲載
読み方
- 不出門<菅原 道眞>
- 一たび謫落して柴荊に在りて従り
- 萬死兢兢たり 跼蹟の情
- 都府樓は纔かに 瓦色を看
- 観音寺は只 鐘聲を聴く
- 中懐は好し 孤雲を逐うて去り
- 外物相逢うて 満月迎う
- 此の地身に 檢繋無しと雖も
- 何爲れぞ寸歩も門を出でて行かん
- もんをいでず<すがわらの みちざね>
- ひとたびたくらくして さいけいにありてより
- ばんしきょうきょうたり きょくせきのじょう
- とふろうはわずかに がしょくをみ
- かんのんじはただ しょうせいをきく
- ちゅうかいはよし こうんをおうてさり
- がいぶつあいおうて まんげつむこう
- このちみに けんけいなしといえども
- なんすれぞすんぽも もんをいでてゆかん
字解
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- 謫落
- 配流(はいる)される 「謫」は罪により地方に流される
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- 柴荊
- 粗末な家 ここでは大宰府の粗末な官舎を指す
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- 萬死
- 死に相当する罪
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- 兢兢
- 恐れおののく
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- 跼蹟
- おそれ縮まる 「跼」は背くぐまる 「蹟」は抜き足する
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- 都府楼
- 大宰府庁の建物
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- 観音寺
- 大宰府庁の傍らにある名刹(めいさつ) 正しくは観世音寺
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- 中懐
- 心の中に思う
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- 好
- ままよ
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- 外物
- 周囲のいろいろな事象 外部
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- 檢繋
- 束縛 「檢」は取り調べる 「繋」はつなぎ止める
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- 何爲
- 「なんすれぞ」と読み、反語を表す熟語 「どうして…だろうか、いや…ではない」の意
意解
一たび筑紫に配流されて、この柴荊作りの粗末な官舎に住んで以来、罪は万死に相当する思いで恐れおののき、天にも背をかがめ、地にも抜き足しするようにひたすら謹慎してきた。
近くの都府楼は、毎日わずかに瓦の色を遠くから眺めるばかりで、観音寺もただ鐘の音を聴くだけで訪れたこともない。
心の中は常に空を飛ぶひとひらの雲を追ってゆくように、(都への思いが募り)外部に対してはつとめて満月のような円満な心をもって接する。(不平の念を起こさないようにしたいと思っている)
この土地では自分は別に束縛を受けるようなことは何もないとはいっても、左遷された身の上だからどうして一歩たりとも門外に出てゆくことなどいたしましょうか、いやいたしません。
備考
昌泰(しょうたい)四年(901年)1月25日大宰府に左遷され、ひたすら謹慎の意をあらわし、居宅と定められた浄妙院に蟄居(ちっきょ)し一歩も門外に出なかった。その心情を詠じた詩である。
この詩の構造は平起こり七言律詩の形であって、下平声八庚(こう)韻の荊、情、聲、迎、行の字が使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
菅原道眞 845-903
菅原是善(すがわらのこれよし)の三男。平安時代の大政治家として、当代随一であった。宇多(うだ)、醍醐(だいご)の二朝に仕えたが、権勢の拡大を左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)から疎(うと)まれ延喜元年(九〇一)大宰権帥(だざいのごんのそつ)に左遷され、大宰府で没す。年五十九。没後、太政大臣を拝命し、名誉が回復され後世御霊(ごりょう)となり天満大自在天神として崇敬され、大宰府天満宮・北野神社などに祀られた。漢詩集「菅家文草(かんけぶんそう)」「菅家後集」がある。