漢詩紹介
吟者:山口華雋・松野春秀
2009年12月掲載
読み方
- 楠公詠史<藤田東湖>
- 大廈誰か知らん 一木の支うるを
- 中興の成否は 南枝に繋る
- 勤王義は結ぶ 金剛の壘
- 逆賊膽は寒し 菊水の旗
- 闕に還りて復當たる 豺虎の徑
- 鞠躬奈んともする勿し 廟堂の機
- 空しく千古 精忠の氣を餘し
- 凛冽として長えに 百世の師と爲る
- なんこうえいし<ふじたとうこ>
- たいかたれかしらん いちぼくのささうるを
- ちゅうこうのせいひは なんしにかかる
- きんのうぎはむすぶ こんごうのるい
- ぎゃくぞくたんはさむし きくすいのはた
- けつにかえりてまたあたる さいこのみち
- きつきゅういかんともするなし びょうどうのき
- むなしくせんこ せいちゅうのきをあまし
- りんれつとしてとこしえに ひゃくせいのしとなる
字解
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- 大廈
- 大きな家 ここでは日本国家
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- 中興
- おとろえた世の中が復興する
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- 南枝
- ここでは楠公を指す
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- 金剛壘
- 金剛山のとりで 金剛山には楠公の居城である赤坂城や千早城があった
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- 逆賊
- 朝廷にとっては政敵である北条氏
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- 菊水
- 菊と水を図案化した楠公の紋(もん)
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- 闕
- 城門 ここでは皇居
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- 豺虎
- 山犬と虎 ここでは無慈悲な足利尊氏勢を指す
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- 徑
- ここでは足利尊氏勢に立ち向かう湊川への道
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- 鞠躬
- 身をかがめ敬い畏(かしこ)まる 「鞠」はかがめる 「躬」は体
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- 廟堂機
- 朝廷での秘密ごと ここでは勝ち目も無いのに足利軍を攻撃せよという天皇の命令
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- 凛冽
- すさまじく程度のはげしいこと
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- 師
- 模範
意解
〔「大きな家屋が傾こうとするときには一本の木では支えることができない」という諺があるが〕日本の国が傾こうとしたとき、それを支えた一人の人物がいたことを誰が知っていようか、誰も知らない。じつは、国を復興させるという事業の成功不成功は偏に楠公にかかっていたのであった。
天皇を中心とする政治を守っていくという議論は、金剛山の砦である千早城において堅く約束され、そのために反乱軍の北条軍は、楠公軍の菊水の旗印に肝を冷やしたのである。
政権が南朝に還り、こんどは山犬や虎のような無慈悲な足利軍を撃つため正成は神戸の湊川への道に就いた。身をかがめ恭(うやうや)しい思いで、〔勝つ見込みのない戦だと知りながら〕天皇の極秘の命令を承り、出陣しなければならなかったのである。
空しいことに、〔皇室政権はならなかったが〕楠公の忠義の精神は千年の後世までも続き、たいそう見事に百世の模範となっている。
備考
本題は「題楠公画像(楠公の画像に題す)」であるが本会では「楠公詠史」とした。
この詩は元弘(げんこう)の変前後のことを懐古し、楠公の功績をたたえている。この詩の構造は仄起こり七言律詩の形であって、上平声四支(し)韻の支、枝、旗、師と上平声五微(び)韻の機の字が通韻として使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
藤田東湖 1806-1855
幕末期の水戸藩士。尊皇攘夷推進派の巨頭。名は彪(たけき)、字は斌卿(ひんけい)、東湖は号。幼名武次郎、虎之介と称し、のち藩主より誠之進の名を賜る。水戸藩儒官藤田幽谷の子で幼時より文武の修練に励み、父の死後彰考館(しょうこうかん)に入り一時総裁代理となる。藩主徳川斉昭をたすけ藩政改革に尽力。藩校弘道館設立は藩主斉昭と共に成し遂げたものであり、水戸学を振興しその中心人物となった。遺(のこ)された「弘道館記」は東湖の草案によるものである。安政二年十月に起こった大地震の時、母親を助けようとして逃げ遅れ圧死した。年50。「回天詩史」他著書多し。