漢詩紹介

読み方
- 壇の浦懷古<安積艮齋>
- 黑風海を吹いて 浪天に掀る
- 往時悠悠 轉憐れむ可し
- 萬馬東來して 城闕を犯し
- 六龍西幸して 樓船を御す
- 冕旒空しく葬る 淵中の月
- 粉黛倶に消す 浦上の煙
- 千古厓山 峻節を同じゅうし
- 君臣死に至るまで 捐つる能わず
- だんのうらかいこ<あさかごんさい>
- こくふううみをふいて なみてんにあがる
- おうじゆうゆう うたたあわれむべし
- ばんばとうらいして じょうけつをおかし
- りくりゅうせいこうして ろうせんをぎょす
- べんりゅうむなしくほおむる えんちゅうのつき
- ふんたいともにしょうす ほじょうのけむり
- せんこがいざん しゅんせつをおなじゅうし
- くんしんしにいたるまで すつるあたわず
字解
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- 黑 風
- 土ぼこりをあげる風 あらい風 暴風
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- 悠 悠
- うれえるさま 遠くはるかなさま
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- 萬馬東來
- 木曾義仲が京都に攻め入る
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- 城 闕
- 城の門 都城
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- 六 龍
- 天子のお召し車
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- 樓 船
- やぐらのある船
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- 冕 旒
- 冠の前後にたれ下がる飾り玉
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- 粉 黛
- おしろいとまゆずみ 化粧した美人
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- 浦上煙
- 壇の浦のもや
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- 厓 山
- 中国広東省新会県の南の海中にある島の山 宋末の張世傑(ちょうせいけつ)が幼帝を奉じてこの山にたてこもり元将張弘範(ちょうこうはん)に破られ 陸秀夫(りくしゅうふ)が帝を背負って海に身を投じた故事による
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- 峻 節
- 気高い忠節
意解
(自分は今ここ壇の浦にやってきたが)荒々しい風が吹きつけ、海は荒れうねり浪も天にまであおり上げているようである。当時のことを憂い思うと、ますます憐れでならない。
木曾義仲が京都に攻め入り、都城を破壊してから幼帝安徳天皇は御船で西に向かわれ、平家の武士たちもやぐらの船を操(あやつ)って壇の浦に逃がれた。
美しく玉で飾った冠をつけられた幼帝は水面にうつる月影に砕け散り、美しく化粧した二位の尼をはじめ女官たちも帝とともに海のもやの中に消えさった。
昔、中国宋末の忠臣が厓山で帝を背負い海に身を投じたのと同じで、君臣共に死を同じくするという気高い忠節は忘れてはならない。
備考
この詩は、平家が壇の浦の戦いに破れて亡んだことを追想して作る。
詩の構造は平起こり七言律詩の形であって、下平声一先(せん)韻の天、憐、船、煙、捐の字が使われている。
尾聯 | 頸聯 | 頷聯 | 首聯 |
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作者略伝
安積艮齋 1790-1860
江戸時代後期の詩人。奥州岩代国安積(おうしゅういわしろのくにあさか)郡(福島県郡山市)の安積国造(あさかくにつこ)神社の神官安積親重(ちかしげ)の三男として生まれ、名は重信(しげのぶ)、字を思順(しじゅん)、通称祐助(ゆうすけ)といい、艮齋、見山樓(けんざんろう)と号す。幼い時から二本松藩今泉徳輔(のりすけ)、八木敬蔵に学ぶ。16歳のとき江戸に出て佐藤一齋(いっさい)に学び、努力勉励し、のち故郷二本松藩校の教授となり、再び江戸に出て昌平黌の教授となる。著書には「見山樓詩集」「艮齋文集」などがある。万延元年、病のため没す。年71。