漢詩紹介

吟者:中谷淞苑
2011年1月掲載[吟法改定再録]

読み方

  • 大楠公  <徳川 斉昭>
  • 豹は死して皮を留む 豈偶然ならんや
  • 湊川の遺跡 水天に連なる
  • 人生限り有り 名は尽くる無し
  • 楠氏の精忠 万古に伝う
  • だいなんこう <とくがわ なりあき>
  • ひょうはししてかわをとどむ あにぐうぜんならんや
  • みなとがわのいせき みずてんにつらなる
  • じんせいかぎりあり なはつくるなし
  • なんしのせいちゅう ばんこにつとオ

詩の意味

 豹は死して皮を留め、人は死して名を留めるというが、人が名声を後世に残すのは決して偶然ではなく、忠節を全うすれば、永く人々の心に残り、忘れられることがない。南朝の忠臣大楠公が戦死を遂げた湊川の遺跡に来てみれば、川の流れが天に連なって、今も昔も変わりがない。
 人の一生には限りがあるが、立派な人物の名声は永遠に尽きることがない。大楠公のような純粋な忠義の精神は、いついつまでも伝わって、忘れ去られることがない。

語句の意味

  • 大楠公
    楠木正成 足利尊氏と湊川で戦って負け自害する 長男正行(まさつら)を小楠公という
  • 豹死留皮
    「五代史」に「豹死留皮人死留名」とある それを引用したもの
  • 湊川遺跡
    大楠公とその一族が足利尊氏の軍に敗れ自害した跡 神戸市にある
  • 精 忠
    少しも私心のない純粋な心

鑑賞

  大楠公の一途な忠義心に己を投影させた

 大楠公の忠誠を称えた詩である。起句の「豹死留皮」は中国「五代史」の王彦章(おうげんしょう)伝にある「豹は死して皮を留め、人は死して名を留む」の前半を引用したものであるが、後半まで当然補って解釈しなければいけない。大楠公の業績を偶然でもなく必然の結果と言い、水の流れのように永遠不滅だとも、あるいは精忠万古に伝うなどと手放しの賛辞である。誰もこれには異論を挟む余地はない。おそらく日本人なら誰もが知っていることとして具体的には触れなかったのだろう。はじめから正成は日本史上の偉人であるという歴史観で歌われているところは、水戸魂というか尊皇の熱い思いが率直に表れている。

備考

  水戸藩主とその500年前の大楠公との接点は何か

 大楠公を称えた詩は多くあるが、その作者は思想家や学者である。水戸藩主で、将軍の父親という大政治家の作品は珍しい。第一に、斉昭は強い尊皇攘夷思想家であった。第二は、大老井伊直弼(なおすけ)が勅許を得ずに日米修好通商条約を結んだことに不快感を持った朝廷は、井伊直弼を制裁してくれるように斉昭に密書を送った。この件は失敗に終わったが、斉昭はこれを契機に朝廷の深い信頼を得た。第三に、先祖に当たる徳川光圀が湊川神社に大楠公の墓を建立しており、その子孫として先祖の真心を受け継いだ。第四は、体力知力精神力の優れた斉昭は庶民のために藩政改革を推進したが、大楠公の、純粋一筋に他人のことを思いやる人柄に共感するものがあったからだと思われる。

詩の形

 仄起こり七言絶句の形であって、下平声一先(せん)韻の然、天、伝の字が使われている。

結句 転句 承句 起句

作者

徳川斉昭  1800~1860

  江戸末期の水戸藩主・思想家

 江戸に生まれた。景山、潜龍閣と号した。文政12年(1829)、兄の斉脩(なりのぶ)の死に伴い、藤田東湖ら藩政改革派の推戴(すいたい)により藩主となった。海防強化、殖産興業、西洋式軍備、軍事学など藩政改革を進めた。また藩校弘道館を設立し、社寺の整備にもあたるが、その思想は尊皇攘夷論の先駆けをなし、安政の大獄に連座して蟄居(ちっきょ)を命ぜられる。万延元年没す。享年61。