漢詩紹介

吟者:松野 春秀
2009年7月掲載
読み方
- 満洲雜吟<乃木希典>
- 東西南北 幾山河
- 春夏秋冬 月又花
- 征戰歳餘 人馬老ゆ
- 壯心尚是 家を思わず
- まんしゅうざつぎん<のぎまれすけ>
- とうざいなんぼく いくさんが
- しゅんかしゅうとう つきまたはな
- せいせんさいよ じんばおゆ
- そうしんなおこれ いえをおもわず
字解
-
- 征 戰
- 行きてたたかう 戦争のこと
-
- 壯 心
- 意気さかん 心丈夫
意解
満洲は実に広い平野ではあるが、東西南北には幾らかの山も見え河もあって、春になれば花も咲き、秋にはよき月も出て我々の心を慰めてくれる。
已に征戦も一年余りも過ぎて、兵隊も軍馬も疲れてはいるが、しかし兵隊の勇壮な心は、自分の家郷のことを思わず一生懸命にお国のために尽くしている。
備考
この詩は乃木将軍が日露の役、法庫門(ほうこもん)の陣中にて作られたと伝えられている。詩の構造は平起こり七言絶句の形であって、下平声五歌(か)韻の河と六麻(りくま)韻の花、家が通韻して使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者略伝
乃木 希典 1849-1912
明治時代の陸軍軍人。長州藩(山口県)江戸屋敷に生まれる。文を吉田松陰の叔父玉木文之進、剣を栗栖(くりす)又助に学び、また詩歌にも秀れ石林子、石樵(せきしょう)と号した。歩兵第十四連隊長心得として西南戦争に出征し、連隊旗を西郷軍に奪われる屈辱を嘗(な)めたが、日清戦争では第一旅団長として旅順を占領した。日露戦争では、第三軍司令官に任命された。明治37年大将。明治天皇の大葬当日静子夫人と共に殉死した。年64。