漢詩紹介

読み方
- 逸題<山内容堂>
- 風は妖雲を捲いて 日斜めならんと欲す
- 多難意に關して 家を思わず
- 誰か知らん此の裏 餘裕有るを
- 馬を郊原に立てて 菜花を見る
- いつだい<やまのうちようどう>
- かぜはよううんをまいて ひななめならんとほっす
- たなんいにかんして いえをおもわず
- たれかしらんこのうち よゆうあるを
- うまをこうげんにたてて さいかをみる
字解
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- 逸 題
- 特に題をつけない詩 失題 無題
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- 妖 雲
- あやしいけはいのある雲 ここでは外国の艦船が海辺に出没することを云う
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- 郊 原
- のはら
意解
風は怪しげな雲を巻き日も西の山に沈もうとしている。今国家は前途多難の時であり、家の事など考えてはいられない。
こうした事は、前々から考えていた事で、そうした中でもゆとりがあるのを誰が知るであろうか。この様に馬を郊外の原野にとどめ、今を盛りに咲く菜の花を眺めているのである。
備考
この詩の構造は仄起こり七言絶句の形であって、下平声六麻(ま)の韻の斜、家、花の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者略伝
山内容堂 1827-1872
江戸時代末期の土佐藩主。名は豊信(とよしげ)、容堂は号。海外の事情に通じた開国論者吉田東洋を登用し、参政に任じ藩政を刷新し朝幕関係の不穏(ふおん)を憂え公武合体を唱えたために大老井伊直弼によって隠居謹慎を命ぜられたが、のち許され幕府や朝議に参与し公武合体に尽くした。1867年将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還実現のためその一翼を担った。明治政府の議定に任ぜられ、1869年薩長肥三藩とともに版籍を奉還した。その後時事を論ぜず、悠悠自適詩歌風月を愛し明治5年6月21日没す。享年46。正二位、中納言。著書に「容堂公遺稿」「容堂公遺翰」等がある。