漢詩紹介

読み方
- 芳野に遊ぶ<賴杏坪>
- 萬人醉を買うて 芳叢を攪す
- 感慨誰か能く 我と同じき
- 恨殺す殘紅の 飛んで北に向こうを
- 延元陵上 落花の風
- よしのにあそぶ<らいきょうへい>
- ばんじんすいをこうて ほうそうをみだす
- かんがいたれかよく われとおなじき
- こんさつすざんこうの とんできたにむこうを
- えんげんりょうじょう らっかのかぜ
字解
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- 萬 人
- おおぜいの人
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- 芳 叢
- 花がたくさん咲いている草むら
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- 攪
- かきまわす ふみつける
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- 恨 殺
- はなはだしくうらむ(殺は助字)
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- 殘 紅
- ちりのこった花
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- 延元陵
- 後醍醐天皇の塔尾陵(とうのおのみささぎ)
意解
吉野山に花見に来た多くの人々は酒に酔い、芳叢は荒らされている。南朝の昔を想って自分と同じ感慨を抱く者は、この中に誰かいるだろうか。
更に恨めしいのは、散り残った花までが、北に向かって飛んでゆく。後醍醐天皇の御陵のほとり、風に散る花のうちに、しばらく立ちつくしているのである。
備考
この詩の構造は平起こり七言絶句の形であって、上平声一東(とう)韻の叢、同、風の字が使われている。
結句 | 転句 | 承句 | 起句 |
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作者略伝
賴 杏坪 1756-1834
江戸時代後期の儒者。名は惟柔(これやす)、字は千祺(せんき)、通称は万四郎、号は杏坪、春草、杏はん(きょうはん)、杏翁等ある。賴 春水の末弟で山陽の叔父にあたる。安芸(現広島県)竹原に生まる。18歳の時、兄春水を頼って大阪に遊学、20歳の時江戸に出て服部栗齋(りつさい)に学び、天明5年安芸の藩儒となり藩学の興隆につとめた。一方、山陽をよく庇護(ひご)し教育に力を注いだ。文化8年(1811)より郡奉行を兼ね敏腕をふるい名声をはせた。和漢の学に通じ、漢詩は春水と共に定評あり。纂評(さんぴょう)春草堂詩鈔、芸備孝義伝、原古編の著書や、鑒古録(かんころく)の編纂、芸藩通志の編集等もある。更に唐桃集という和歌集もある。天保5年79歳で没した。